分散させることの大切さ

高校時代、部活の合宿で富士山麓にある山中湖に行った。部員は高校生ばかり(アタリマエだ)なので朝昼夜とご飯をもりもり食べる。もりもり食べるので朝になるともりもり出る。
人間というのは不思議なもので、朝起きて一番の空腹時に胃に食べ物が入ると自然とアレをモヨオす傾向がある。それで数十人の団体が一気に同じ行動を起こすものだから、いくら合宿所にはトイレがたくさんあるといっても限界になって長蛇の列ができる。特に男子トイレのそれはBigBENに対応できる部分が少ない。それが合宿中の毎朝の最初の修行だ。

日本人はみんなで何かをすることが好きだ。夏ならBBQやキャンプ、冬ならスキーやスノボに仲のいい友達同士が誘い合わせて一緒に出掛けたりする。連休の天気がいい伊豆半島などでは何十台ものバイクが連なってツーリングする姿も珍しくない。それはかつての「暴走族」とはまったく違う紳士的なライダーの集団である。
もっとも乗用車でこういった集団に出会うと「あちゃー」という気分になる。集団はそれぞれがバラバラになることを嫌い、乗用車やバスの間をスレスレに通り抜けたりしてこちらも緊張を強いられることが多いからだ。もっとも積極的に迷惑をかけられるわけでもないのでこういった集団には道を譲って「お先にどうぞ」となることが多い。

しかししばらく走ってトイレに寄ろうと道の駅などに立ち寄ると先行していったバイク集団とまた合流してしまい、トイレでもレストランでも大混雑を味わうことになる。いや、彼らにはまったく悪気はないのだ。
しかし彼らにとっても不都合がある。のんびり1人でのびのびと自然の中を走れたはずの道も、集団の隊列を崩さずに走るためには速度やルートを他の人の都合に合わせる必要がある。いや、ボクにはわからないが逆にそれが彼らには楽しいのかも知れない。他人の制約を受けること自体がだ。

連休に遊びに行くんだったら混んでるところでないと「行った気がしない」と訳のわからないことを言っていた同僚がいた。どこに行っても長時間行列に並んでこそ行った甲斐があるのだという。行列もしていないところなど行く価値がないという。お互いに相容れない性格だったのでそれ以上話すこともなく自然と疎遠になった。
すべてが非効率だ。でもそれがいいという人もいるということが分かったことがボクにとって貴重な経験だった。

レジャーならそれもいい。
しかし日本の多くの企業もこうやってみんなで都合を合わせて動いている。”みんなで一緒にやること”を何よりも大事にする。列を乱してはいけないのだ。今、自分に時間の余裕があったとしても勝手に他のことをしてはいけない。前の順番の人の仕事が終わって自分に仕事が廻ってくるまでは”何もしないで”待っていなければならない。それがみんなで決めたルールだからだ。だからいつまで経っても日本企業は労働生産性が上がらない。

行列のできる店もちょっと時間をずらすだけでまったく並ぶ必要がなくなることもある。大混雑の世界遺産も朝一番なら穏やかで落ち着いた大聖堂にステンドグラスから差し込むやさしい朝の光を浴びながら、ゆったりとした時間を過ごすことだってできる。
ボクの友人はほぼ毎日、有名な観光地を所用で訪れているが、クルマでなければ行けないその場所で時間を有効に使うために早朝に家を出て、駐車場がまだ空いているうちに現地に到着するようにしているという。一旦駐車場が満車になってしまえば数十分から数時間を無駄にしてしまうことになるのだ。

人を一ヶ所に集中させないで分散させることがすべてを良くする。もっとも混雑の行列に並ぶことが好きだと言っていたかの元同僚を除けばの話だが。
店は店の前にいくら長い行列ができても、並んでいるだけの人からお金は取れない。売上になるのは、お客が長い行列に並びきって店に入って何かを注文してからだ。長い行列は”お客が途切れることがない”という安心感だけをもたらす。
お客にとって長い行列に並ぶということは長時間待ち続ければいつかはお目当てのラーメンを食べられる(かもしれない)という安心感だけをもたらす。それでも自分の前で「スープが終わったので今日はここまでです」と言われれば並んだその時間は丸々無駄になる。いやあの元同僚なら並んだことだけで満足するのかも知れない。

日本はブームを起こしやすい。最初のきっかけを(カネを使ってでも)で上手く操作すればブームになる。ましてやマスコミはカネになるなら何でもやる。そんなマスコミが煽れば大衆はパニックを起こして一ヶ所に群がる。そうやって日本では「みんな」が集まるところにはもっとたくさんの「みんな」が集まるのだ。