マスコミの終焉

テレビでいえば視聴率、ラジオなら聴取率。世の中でその番組がどれくらい見られているかの指標になる数字だ。かつては厳正に審査された中から選ばれた中から選ばれた数100世帯の家のテレビに特殊な機械を取り付けてその家でどの番組がどれくらい見られているかを調査していたというが、その実態を知っている人には会ったことがない。
今はインターネットの時代なので調査員が被調査家庭のテレビに取り付けられた記録テープを回収してまわるというような原始的な方法で調査されているとは思えないが、もしかしたらそんな調査は実際にはされていないのではないかとさえ思っている。

言うまでもないことだが、テレビ番組で視聴率を稼ぐにはできるだけたくさんの人に番組を見てもらうことが必要だ。番組を見てもらうにはそれを面白いと思ってもらうか興味深いと思ってもらえばいい。退屈でツマラナイテレビを見る人は少ない。
ここで一つ問題がある。人が「面白い!」と思う要素は様々で、「すべての人が面白い」というものはない。つまり沢山の人にテレビを見てもらうには一番沢山の人が「面白い!」と感じる内容にしなければいけない。だが「ツマラナイ」と感じる人もいる。10種類の内容で番組を考えても実際に放送できるのは1つだ。だから一番沢山の人が「面白い!」と思うものを放送することになる。マイノリティは切り捨てるしかない。

しかし、仮に100人に訊いてみて、それぞれの番組についていいと思う人に手を上げてもらったところ、10種類の番組をそれぞれにちょうど10人ずつが支持することになった。この中から1つの番組を選んで放送すると、1割の10人は面白いと思うが大多数の90人はツマラナイと思うだろう。さぁどうする?

沢山の人に見られることだけを目標にするとこんなジレンマが起こる。
マスコミは同じ内容を発信するから大衆が皆な同じ方向を向いていないと高視聴率は望めない。1つのことを「面白い!」と思う人がたくさんいてこそ成立するビジネスだ。そこで皆なを同じ方に向かせるために、無理やりにでもブームを作って同じ方を向かせ、好みを同じにしようとする。これも一つのマーケティングの方法だ。つまりある意味、世論操作をするわけである。

韓流ブーム、サッカーワールドカップ、高齢者の自動車事故、オリンピックなどなど、話題にできそうなものを見つけては集中的に洗脳しようとしている。ところが、残念なことに既にテレビを見なくなってしまった人たちにはテレビを使ったこのやり方はもはや通用しなくなっている。一時はテレビ局もインターネットを使ったテレビの宣伝に精を出していたが、最近ではあまり見かけなくなった。インターネットで自分好みのコンテンツを見つけてしまった人に今更「オレとやり直してくれ」と追いすがってもダメだったということだ。

多くの人が少数派になって多数派がいなくなった時にどうするか。
インターネットの勃興によって好みのチャネルを選べるチャンスは無限大に広がった。「こんなことに興味持ってる人なんていないだろうな」と思って試しに検索してみると驚くほどたくさんのページがヒットしてくることがある。その多くが信用できない内容だったとしても、そのことにすら興味を持つことだってある。
マスコミの倫理委員会の網にかかって放送されないことですら(個人的な憶測を含めて)多くの情報に触れることができる時代になった。そんな中で今更インターネットに迎合しようとしても、既にそこには迎合すべきマジョリティ(主流派)はいない。たくさんのマイノリティがいるだけだ。

これからのマスコミに残されている道は「切り捨て」戦略である。
以前にも話題にしたが「全員に愛されようと思えば、ほんの少しだけ愛してくれる人がほんの少しだけ残るだけ」だ。
これからは小さな分野(エリア)で一番を目指すことが大切だ。例えば「特定のマイノリティ(少数派)に特化して今までの10倍面白い番組構成にする」などである。マイノリティを少しでも深く長く愛してくれるファンにすることだ。
既にCS放送などでは数多くの専門チャンネルで各種スポーツ、映画、韓流ドラマなどの放送をしているがまだ一般に周知されているとは言えないし何よりも専用の機器と新たな有料契約が必要だ。インターネットで無料の動画やライブ配信が溢れている時代にである。

ボクが未だに忘れられないテレビ報道がある。1972年、長野県の山中にある民間の保養所「浅間山荘」に連合赤軍が人質をとって立てこもった事件だ。厳寒の山奥で10日間にも亘って攻防戦が繰り広げられた。ボクは当時まだ小学生だったが、学校から家に帰ってスイッチを入れたテレビがすべて同じ場面を放送していることに驚いた。当時のデータによればNHKの報道番組では最高で50%を超える視聴率を記録した。テレビを見ている人のうち半分以上がNHKを見ていたわけだ。

当時も関東地方にはUHFチャンネルを除いて6つの民放テレビ局があった。その中で5つの民放局はNHKとほぼ同じ映像を流していた。この時、子供ながらに思ったのは「一つでいいんじゃないの?」ということだ。NHKは放送法によって全国各地にくまなく放送しなければならないことが決められている。だから関東でも民放だけしか見られない地域は原則としてないはずだ。どうせ同じ映像ならばみんながNHKを見ればいいんじゃないかと思ったのだ。実際に半分以上の人がNHKを見ていた。つまり関東地方で民放を見ていたのは残る半分以下の人でありそれを各民放局が分け合っている状態だ。つまり平均して各局が10%ほどの視聴率しかなかったことになる。

そんな中で唯一普段どおりの放送をした民放局がある。「東京12チャンネル(現テレビ東京)」だ。国民の目が集まっている「あさま山荘事件」に目もくれず通常の番組を流していた。この時に東京12チャンネルの経営陣や重役たちがどんな判断をしたのか詳しいことはわからない。しかし自局がNHKもが集中的に参入している「あさま山荘事件」に割り込んだところで取れる視聴率などたかが知れている、と判断してスポンサーと協議したのではないだろうか。
各局が同じ放送をしている「あさま山荘事件」に飽きた視聴者はテレビ東京に来る、と思ったとしても不思議ではない。ちなみにこの時、東京12チャンネルでは古典落語の録画番組を放送していた。NHK以外の残りの視聴率は、もしかしたらこの局に全部流れていたのではないかとさえボクは思っている。

東京12チャンネルから名前を変えた現在の「テレビ東京」でも他の民放局とはやや趣の異なる番組を放送している。平日の深夜の時間帯に入ろうかという午後11時、NHKを含む他の局はバラエティやスポーツ特集ばかりを放送しているが、テレビ東京はWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)という20~30代の若いビジネスマンに特化した番組を何10年も続けている。
かつて仕事で残業漬けだったボクは平日の帰宅が23:00を回ることが普通だった。そんな時にコンビニで買ってきた弁当を食べながら見るテレビがWBSだった。当時からプロ野球にも興味がなかったので家に帰ってプロ野球の結果を見ても仕方がないと思っていたし、営業先で顧客と話題にするのなら翌朝の新聞で結果だけ見ておけば十分と考えていた。
これが細かい隙間を狙った彼らの戦略なのだとすれば一定の響く層を持っていたことになる。少なくとも当時の同僚や上司は毎日ボクと同じ番組を見ていた。

問題は番組のスポンサーの問題だ。この戦略に理解を示したスポンサーだけがこういった番組にお金を出す。そこには番組がターゲットとしている絞り込んだ層に対してコマーシャルを打てばいいのだから「すべての人に好かれたい」大手スポンサーでは考えられない、中小ベンチャーにこそチャンスが生まれてくるのだ。
そんなスポンサー企業こそが今のマスコミの凋落を解決できる鍵だと考えている。