みんなみんな教

先日、東京都の 受動喫煙防止条例が東京都議会で可決された。2020年には東京都内では従業員のいる飲食店(店主が1人だけでやっている店を除く)では原則禁煙になることが決まった。”原則”ってことは例外もあるってことだが、とりあえずその辺は置いておくとして15年前から禁煙原理主義者に宗旨変えしたボクとしてはありがたいニュースである。
禁煙に関してはアメリカなどでは40年以上前からかなりヒステリックに叫ばれており「デブと喫煙者は自己管理のできないダメ人間」のレッテルを貼られて出世の道は閉ざされ、蔑むべき対象になっていた。しかし日本で禁煙の動きが加速してきたのは今から20年ほど前になってからだ。

当時のボクはバリバリの喫煙者だったが、駅のホームや職場の喫煙所の灰皿が撤去され始め(オフィス内禁煙はもっと前から行われていた)、煙草を吸うにもわざわざタバコの吸える場所を探さなくてはならなくなり、いっその事タバコをやめてしまえば、無駄な時間もなくなって一石二鳥だと思いやめることにした。当時はまだまだ職場や駅でも灰皿のある場所には喫煙者が群がってもうもうと煙を吐き出す姿が散見された。ボクの周りにも積極的に禁煙しようという人はおらず周囲から「何でやめたの?」としつこく聞かれたことを覚えている。

あれから15年、ボクの周りには喫煙者がほとんどいなくなった。ボクも「(喫煙所探すような)めんどくさいことやめて禁煙すれば?」と触れ回ったし時期を同じくして禁煙した友達も「今どきタバコなんて冴えないぜ」などと喫煙者を追い詰めていたのでそのせいもあったのかもしれない。少なくともボクの周りでは”みんな”がタバコを吸わなくなった。

先日書いたBLOG(「6/21 スジは正義です」)をセルフシェアしたボクのfacebookの書き込みにコメントを付けてくれた友人がいた。彼とは20年来の付き合いで元々タバコを吸わない人だったが、ボクの車の中では嫌な顔をしながらもあまり文句を言わなかった。
そんな彼が言うには「(日本人は)『みんなみんな教』ですかね」と言う。この言葉がちょっと気に入ったので今日はこれをテーマに書いてみることにした。
この時のBLOGでは電車の中で原理主義的に携帯電話での通話を非難する日本人について書いたのだが、それは日本人特有の”宗教”のようなものではないかというのだ。彼はそれを名付けて「みんなみんな教」ではないかという。

先日からロシアでサッカーのワールドカップが開催されている。前回のリオデジャネイロオリンピックの時にも話題になっていたが、日本人のサッカーのサポーターが試合後のスタジアムで自主的にゴミ拾いをして各国のメディアから称賛されたという。また別の友人は、近所のバーベキュー禁止の河川敷が夏には無法地帯になっていることを指摘していた。これは「みんなみんな教」の仕業ではないかというのだ。

夏の河川敷が無法地帯なのも、「みんな」がやってるから、サッカースタジアムのスタンドでゴミ拾うのも、「みんな」がやってるから、電車内で電話しないのも、「みんな」が電話しないから。

日本人はどうしてこうもみんなと同じことをやりたがるのか。
誰かに褒められることなら分かる。自分も同じことをして褒められようと思うのは自然だ。しかし「みんながルールを守らないからオレも守らない」という「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な考えはどこから来るのだろう。ルールを破って褒められることはないのだから”正義”に認められようという思いでないことは確かだ。
では”チョイ悪”がカッコよく見えるガキの発想だろうか。未成年がタバコを吸ったり無免許でバイクを盗んで乗り回すことがカッコイイと思う幼稚な考えからくるものなのだろうか。それを「みんな」でやれば怒られないと思うかつての暴走族たちと同じなのだろうか。
しかし「いいオトナ」がである。「いい歳をして」である。それをいまだにカッコイイと思っているならまだまだ精神的に未熟なコドモだ。

なぜニッポン人は「みんな一緒」が好きなのだろう?みんなだ一緒だと安心するのだろう?
会社でもみんなと違う時期に休暇を取ろうとすると嫌な顔をされる。みんなと一緒に行くランチを断ると悪口を言われる。
ニッポンは村社会だからと言われる。しかし世界中に村社会はある。ニッポンは島国だからと言われる。世界中の島国もそうなのだろうか。確かに島国で古くから単一民族だった集団はそんな傾向があるのかもしれない。

「みんな」が同じだということは取りも直さず「抜け駆け」を防ぐという意味もある。ニッポン人はやっかみが強い。かつてITバブルといわれた時期にはにわか億万長者が現れてヒルズ族などと言われたがアレも半分くらいはやっかみがあった。その1人の通称”ホリエモン”はちょっとしたしくじりでマスコミから「人間のクズ」みたいに叩かれた。本人のメンタルの強さ(ボクは彼の鈍感さだと思っているが)で服役後に再び日本社会に返り咲いた。今でも彼を叩く人はいるが、かつてのようなメッタ打ちではない。恐らく「みんな」も飽きたのだろう。

しばらく前に幼稚園だか小学校だかの発表会の時、舞台で子どもたちが「白雪姫」を演じようとしたところ「1人だけ白雪姫の役を演じるのは不公平だ」と保護者からクレームが付いた。誰か1人が白雪姫になると「ウチの子が差別を受けている」というのだという。その結果的に10人全員を白雪姫役にすることになってしまい劇が台無しになったのだという。オトナのやっかみはいかにもイヤラシイ。

先日、Eテレに小学生の女の子が3人出演していたのだがそのうちの二人は下の名前が「ルナ」という名前だった。最近では個性的な名前がいいということでいわゆる「キラキラネーム」が流行っているが、個性的な名前も被ってしまうとちょっと笑える。もっとも当の子供にはまったく落ち度はないわけだが。

最近は日本人の喫煙率はかなり低くなって20%を下回っているという一方で国会議員センセーたちの70%以上が現役の喫煙者だという。国民の「みんな」がタバコを吸わなくなったのに国会議員のセンセーたちだけは相変わらずみんな吸ってる。社会保障関連の予算削減が国会での喫緊の課題になっているときにである。
日本人の「みんな」がやっているのにそのことにすら気づいていないのだとしたら、センセーたちが国の中をまったく見ていない証拠だね。