ボクがゲームに興味ないわけ

電車に乗ってもファストフードの店に入っても公園でも歩きながらでも、熱心にスマホを覗き込んでるなぁ~と思うと大抵はゲームをしている。最近はネットゲームというのが多いらしく、インターネット上に仮想空間を作ってそこに集まったメンバーでゲームをするらしい。先日も電車の中で数人の中学生が「そっち行ったぞ!「そこで殺れ!」「逃げられた!」などと話しながらゲームをしていたので、そういうのが今の主流なのだろう。

ボクらの子供時代などは今にしてみれば思い出すのも恥ずかしいくらいにチープな遊びしかなく、ゲームといえばすごろく、野球盤、人生ゲーム、オセロ、将棋などの原始的なものしかなかった。
とにかく子供の頃のゲームは大きかった。持ち運ぶには大きすぎた。当時出始めた(ブームは一瞬で終わったが)電動テニスゲームにしても、単1電池を8本も使ってモーターの音をギーコギーコいわせて動く設置型だったし、携帯できるのはトランプや軍人将棋くらいで、それもテーブルがなければ遊べなかった。もっとも屋外で野球をせずに軍人将棋などやっているのは一種の変わり者と思われていた。

ゲームは雨の日の遊びだった。空き地で野球をすることも缶蹴りやドロジュンをすることもできない雨の日に”仕方なく”ゲームを持っている誰かの家に行ってやるものと相場が決まっていた。それもみんな大抵は30分ほどで飽きてしまい三々五々と散会するのだ。
つまりゲームなぞわざわざやるほどのものではなく、雨の日の暇つぶしに仕方なくやるものであった。だから熱狂的な野球盤ファンや人生ゲームオタクがいるわけでもなく、のちのファミコン時代のような〇〇名人もいなかった。

しかしいつの頃からかゲームは持ち運べるようになった。ボクはすでにゲームで遊ぶ年代ではなくなっていたのでいつの頃から流行り始めたのかはわからない。しかしうちの弟の世代では雨でもないのに友達が家に集まって部屋の中で黙々とゲームをしたりマンガを読んだりしていたのでハシリの世代なのかもしれない。
そして子供はいつでもどこに行ってもゲームばかりするようになった。ファミレスにやってくる家族も子供は食事などそっちのけでゲーム機に齧りついていた。ファミコンは電源とテレビがなければ遊べなかったがその敷居が一気に取り除かれた。どこの親も「ゲームをやめなさい!」と金切り声を上げていた。

いつの間にか携帯ゲームは市民権を得て、通勤電車の中でも立ったままゲームをする人達が増えた。それも子供だけではない。20~30代のいい年をしたオトナまでがゲームに夢中になっていた。
ゲームウオッチ、ゲームボーイ、プレステなどが、さながら今のスマホのように通勤電車の中でピコピコ言わせていた。乗っている人の半数はゲームをしており残りの半分は寝ていた。通勤電車の中は誰もが常に暇つぶしに飢えている。

今ではそれらのゲーム機に代わってスマホゲームが全盛だ。冒頭で書いたようにインターネットと繋がったネットワークゲームも大流行している。既にゲーム専用機を手にする人たちは少数派でスマホゲームが全盛になっている。そしてテレビコマーシャルも”これでもか!”とばかりにスマホゲームのCMのオンパレードだ。きっと多くの人を魅了する楽しさがあるのだろうと思う。

ボクはスマホゲームをやらない。それは何よりもあの小さな画面を見る気にならないのが一番の理由だ。そしてもう一つの大きな理由は”他人の作ったストーリーに乗って遊びたくない”からだ。

かつてボクはベンチャーのIT企業で当時流行り始めたパソコンのネットゲームの企画制作に携わったことがある。ゲームの制作にはTV番組と同様にプロデューサーやディレクターがいてストーリーを作る作家、キャラクターを考えるデザイナー、プログラミングをするプログラマーなどが協働しながら作っていく。そこではストーリーが練られアクションが決められていく。すべてがみんなのアイデアから作り出されている。

それを見ているうちに「ゲームに夢中になっている人はここにいる人達の掌の上だけで遊ばれているだけなんだな」と思うようになった。
ゲームは所詮、他の人間が作ったものである。その動きに乱数などは使っているが作った人には全てわかっている。そんな人達が作ったゲームというものに夢中になるのが何となく馬鹿らしくなったのだ。バグ(プログラムのミス)でもない限りその動きはすべて計算されたもので寸分の狂いもなく正確だ。そんなコンピュータゲームに息苦しさを感じたのもある。

アナログな古いゲームの時代にはゲーム自体に曖昧さが残っていた。特に自分で材料を集めてきて釘を打って穴を開けて作ったゲームなど正確さの欠片(かけら)もなかった。釘の間を通過するはずのビー玉は打った釘に引っかかって目詰まりし、ゴールにと開けた穴は小さすぎた。
上手く最後まで動くように何度も手直しして完成したゲームは、うまいことゴールしても音一つ鳴るわけでもなく景品が出てくることもない。数回遊べば自分でも飽きてしまうのだが次の日にはまたもっと面白いゲームを考えて改造を始めるのだ。

今のゲームには曖昧さが残されていない。すべては作った人の考えどおりに動く。いやそのとおりにしか動かない。自分で何かを付け加えたり取り除いたりすることはできない。ボクはそこに窮屈さを感じるのかもしれない。一時、中古のプレステを買ってゲームをやってみたこともある。しかし30分もすると飽きてしまう。面白くないのだ。たぶんコンピュータゲームとはとことん相性が悪いのだと思う。

ところがパソコンのWindowsに付いているカードゲームはしょっちゅうやっている。何も考えない時間のための頭の休憩にはうってつけだ。でもそれをスマホやタブレットでやろうとは思わない。老眼にこれ以上の負担を掛けるのはゴメンである。でも結局ボクもゲームが好きなのではないか?

そうだ、オレもゲームが好きだー!
あースッキリした。