データとはなんぞや?

先日テレビで、江戸時代に日本中を歩いて地図を作った伊能忠敬(いのうただたか)の特集をやっていた。広く知られていることだが、忠敬は50歳を過ぎて隠居生活に入ってから地図づくりを始めたという千葉の商人である。それは井上ひさし氏の小説「四千万歩の男」にも書かれている。
江戸を出発してから徒歩で東北を通って北海道に向かい、その後全国を歩いて測量して日本で初めての正確な日本地図を作った人だ。
その番組の中で元宇宙飛行士の毛利衛さんがおっしゃっていた言葉が心に残った。

データというものは一つだけではその意味がわからないが
全部が集まった時に初めて一気にその意味が見えてくる

毛利衛さんは日本人で初めてスペースシャトルに搭乗し、地球を周回しながらGPSなどに利用する地球上の地図データを集めた人である。もちろん現代の地図は一人の人間の力だけで作り上げられるものではないが、そんな志を持った人たちの英知を集めたプロジェクトだったに違いない。
毛利衛さんは日本人で初めてスペースシャトルに搭乗し、地球を周回しながらGPSなどで利用する地図データを集めた人である。もちろん現代の地図は一人の人間の力だけで作り上げられるものではないが、そんな志を持った人たちの英知を集めたプロジェクトだったに違いない。

ボクの学生時代は理系の学校だったので実験でデータを集めて集計したり分析することには慣れていた。
というよりもデータを見るとそれが何を示そうとしているのかを考えたりすることが好きだった。恐らく学生時代に理系に進んだ人の多くはそんな経験をお持ちだと思う。

忠敬も当時の三角測量や天文学の知識をフルに動員して1ヶ所ずつの距離、方位を観測し、夜は空に見える星の高さから緯度を測ったという。
そこで測量した1ヶ所1ヶ所の点の前の観測地点からの距離・方位・緯度の値が膨大な数字となって残された。すなわちデータだ。

忠敬は江戸に帰ってからそのデータを集約して初めて”日本の正確な形”を知ったのである。つまり彼が歩いてデータを記録していた時には彼自身も日本の形など分からなかったのだ。逆に言えば彼は、全部のデータを集め終わってそれを集約した時に見えてくる”日本の形”を知りたくて全国を測量しながら歩くという偉業を成し遂げられたのではないかと思っている。

忠敬の偉業はもちろんデータを集約して日本地図を作ったことだが、その前に”正確な”データを集めたところにある。
集約して形にすることは理屈がわかれば誰にでも(というと語弊があるが)できる。しかしその前には膨大なデータを集めるという作業が必ず必要だ。それもできる限り正確なデータでなければ意味がない。データが正確でなければそこから導き出される結果もいい加減なものになってしまう。
忠敬は旅の途中で様々な困難にも出会ったことだろう。その時に手を抜いていい加減なデータで間に合わせる事もできたはずだ。しかしそれをやってしまったら出来上がるものの価値が下がってしまうことをよくわかっていたからこそ手を抜かずに粛々と作業したのだ。

ちょっと前から日本の大手製造メーカーによる検査データなどの改ざんが問題になっている。
NHKの報道によれば最初から結果ありきで、実際のデータを無視してメーカーが自分にとって都合のいい数字をでっち上げたのだという。データが正しくなければ検査結果も正しくない。経営者は「そもそも厳しい基準にしてあるのだから問題ない」と思ったのかも知れないが、それは正確に計測したデータで計算した結果を見て初めてどれくらいの余裕があるかがわかる事で、捏造したデータでは根拠が全くなくなってしまう。そして結果的にそれに反論できなかった担当者も技術者としての誇りを無くしていたと言われても仕方がないだろう。

少なくとも昔の職人は自分の仕事に誇りを持っていた。
誇りがあったから自分が納得するようないい仕事をした。
そして昔は、そのいい仕事を分かってくれるいい旦那がいた。
今、いい旦那はいるのだろうか?