芋の煮えたもご存じない

「女子力が高い」という男性がテレビに出ている。「女子力」は今のところ手持ちの辞書には載っていない。”南青山でスイーツの食べ歩きをする”だったり、”週末には家でケーキを焼く”だったり、”ホームパティーが好き”だったりするらしい。話を聞いているとどうやら”女の子っぽいことが好き”な男子らしい。
”女の子っぽい”とは何を指すのか、今はうかつなことは言えない世の中なので細かいことに突っ込むのは止めておく。
家で料理をするのも女子力が高いのだそうだ。

最近ではLGBTなどと言われているが、ボクらが子供の頃は単に”オカマ”と呼んでいた。代表的なのはおすぎとピーコでありピーターだった。彼ら(彼女?)らは誰が見ても外見はほぼ男だったが話し方が女っぽかった。今のように細かい分類はなくそういう人はすべからくオカマだった。
ちょうどテレビにタモリさん(当時はキワモノタレントだった)が出始めた頃で、NHKでその姿を拝見した時には「NHKもここまでやるようになったか」と感慨深いものがあった。もっとも共演者は永六輔さんとミセスNHKと言われていた加賀美幸子アナウンサーだったので番組としてのキワモノ度はプラマイゼロだったのかも知れない。
この頃でもタモリはギリギリセーフ、おすぎとピーコはアウトと言われていた時代だった。兎にも角にもオカマに関する情報は(特に子供には)まったくわからなかった時代である。

ただ彼(彼女?)ら(タモリさんを除くオカマタレントたち、タモリさんはオカマではないと思われる)は女子の行動や習性を実によく研究していた。オカマではないが歌舞伎の女形(おやま)も女性らしい仕草などを学んで練習するのだといい、舞台でのその妖艶さはとても男性とは思われないほどだ。見方によっては普通に身の回りにいる女性よりも女性らしく感じられそれは素晴らしい芸(ゲイではない)である。
このあたりが”女子力”の発端のように思われるが確かなことはわからない。

「料理ができないと」いう男性がいる。かつて田辺聖子さんのエッセイを読んでいて「ラーメン煮えたもご存じない」というタイトルの文章があった。これは”江戸ゐろはかるた”の中にある「芋の煮えたもご存じない」をモジッたものだ。いろはかるたと言えば「犬も歩けば棒に当たる」や「鬼に金棒」「花より団子」などが有名だが江戸時代の風物や諺などが散りばめられていることで有名だ。
「芋の煮えたもご存じない」とは芋が煮えているかどうかもわからないような使えないやつという意味である。つまり「ラーメン煮えたも~」は(インスタント)ラーメンも作れないダメ男という意味だ。当時はまだカップラーメンがなかったのでインスタントラーメンと言えば今で言う袋麺のことだった。
それにしたところで鍋にお湯を沸かして沸騰したら麺を投入し、適度にほぐれたところに粉末スープを入れれば完成である。今のように香味スープだの何だのはなかったから迷いようもないのだが、これを作ったことがない男がやると「見ちゃ居れない」くらい手際が悪いのだそうだ。

まず袋麺の裏側に書いてある”作り方”を熟読するところから始まる。「何々、鍋に500ccの水を入れて沸騰させる、とある」。計量カップにきっちり500ccの水を計って投入した後にガスレンジに火をつける。流石に今の子供のように”ガスに火をつけられない”大人はいなかった。「そして十分に沸騰させるのだな、5分と書いてある」。すなわち腕時計できっちり5分を測る…
何をやるにも大仰で「そんなにテキトーにやりゃいいんだよ」と風邪で寝込んでいる奥さんが布団の中から言おうものなら「こういったものはしっかりやらなければ大変なことになる」と爆弾でも作っているかのような勢いだ。
果たして出来てきたラーメンは煮くたらかしてブヨブヨになった代物だが、なぁに食べられないもんは入れてないんだとばかりに颯爽と食べ始める。確かに美味しくはないかも知れないが食べられないことはない。

しょせん料理なんて焼くか煮るか炒めるか茹でるかして味付けすればいいだけだ。完成度の違いや手が込んでいるかどうかに多少の違いはあるが食べられないことはない。すべて食べられるものからできているのだから。
つまり料理なんて”できない”ことはない。”やらない”だけだ。「できない」という人にはやる気が無いのである。

なぜやる気が無いのか。よくよく話を聞いてみると料理をすることをバカにしているンである。料理だけではない。買い物に行くことも掃除をすることも洗濯をすることも、いわゆる家事をバカにしているのである。さすがに口には出さなかったが「そんなのはオンナの仕事」だと言わんばかりだ。
男は外に出て家族を食わせるために、天下国家のために働いてるんだ。料理なんて(くだらないことを)やってられるか、というわけである。今でも団塊の世代やそれより上の世代ならそんな男がいてもわからないではない。昭和の時代にはそんな事もあった。しかしその彼は30代半ばである。まあいい、他人の話だ。

テレビに出ている彼は、聞けば未婚でまだ実家でママに面倒を見てもらっているらしい。しかしその彼は、年老いて一人だけで生活しなければならない境遇になったときのことを考えたことがあるのだろうか。若さゆえにそんなに先のことは考えないのだろうか。

料理を(女のやるものだと)バカにしているからやろうとしない。料理をやろうとしない男の考えは言ってみればそういうことである。料理なんてそもそも女がやるもので程度の低いことだから男のやることではないと思っている。女を自分より下に見ている。しかしその女に出来ることさえ出来ないのだからもっと程度が低いということが分かっていない。そもそも生き物は食べなければ生きていけない。それは太古の原始人だってやっていたことである。出来ないと言うなら原始人以下だ。

とまあ頭の悪い男のことばかり書いてきたが女でも同じような人は存在する。
「私、機械モノに弱いんですぅ」と言うブリっ子女(古っ!)だ。テレビなどのAV機器を買った時にそういうことを言い出す女が必ずいる。”そういうこと”は男がやるものだと決めつけている。字が読めないならまだしも、取説読んで書いてあるとおりに配線するだけのことがなぜ出来ないのか理解に苦しむ。料理のようにモタモタしていて材料が焦げてしまう恐れすらない。(できない)やらないということでカワイイことをアピールしているのかも知れない。とすればこれも女子力なのかも知れない。

やる気が無いのは仕方がない。後で自分がどんなに困ろうが自分の責任だ。だがどんなことでもまずはやってみてはどうだろう。一度でもやってみて、やればできるということが分かると生きていく自信が湧いてくるものである。それは今の日本が未曾有の大災害に見舞われて、レストランもコンビニも何もなくなってしまったときにでも何とか切り抜けていくんだという心強い自信につながるかも知れない。