部活動命だった頃

ボクが通っていた高校は当時の新設校で1年生の時に最初に入った教室では黒板にまだビニールが被せられていた。授業の前にビニールを破って剥がすのが最初の作業だったのだが、新品の黒板を最初に使う時には全面をチョークで薄く覆うように塗り板面を落ち着かせなければならないらしい。そうしないと最初に書いた文字を黒板消しで消そうと思ってもなかなか消えなくなってしまうのだそうだ。ホントかどうかはわからないが当時の担任の先生はそう話していた。

新設校に通っていたという方は比較的少ないと思うのでお話するが、歴史ある学校と違ってクラブ活動いわゆる”部活”はあまりない。野球部やバレー部、バスケ部などのメジャーな部活はあったがそれを入れても全部で5~6ほど、もっとも鉄道模型部やバドミントン部といったマイナーなクラブもあったがこれは当時の数学のアサヒ先生の個人的な趣味によるところが大きい。ボクも新しく無線部やら吹奏楽部を作ったりテニス部の新設に名義貸し(これは違法ではない名義貸しだ)をしたりした。当時のクラスメートも2~3の部活に所属することは普通で二股も三股も掛けていたものである。

部活を掛け持ちすると1つのクラブに掛けられる時間もエネルギーも限られてくる。だから朝はブラバンの朝練、昼休みは無線部、放課後はバスケ部などと割り振って活動していた。昼?そう、昼練をやらないとスケジュールがこなせないわけだ。体育会系の部活は別として、当然顧問の先生は来たり来なかったりする。ボクらの学校は甲子園の強豪校でもインターハイの常連校でもなかったからみんながそれなりに部活動を楽しんでいた。
当時はまだ週休二日制などはなかったので土曜日の午後の練習は長時間でハードだったような気がする。だから土曜日の夕方になるとヘトヘトになって翌日の休みが楽しみだった。そう、日曜日は基本的に部活が休みだった。対外試合などがあれば当然活動はあるが、基本は学校の授業と同じ週6日制だった。

最近では学校の部活動が問題になることが多いらしい。週末も祝日も土日のすべてが練習で休みがないのは普通だという。生徒はまだ若くヒマなので休みがなくても平気だが社会人であり家庭人でもある教員はそういうわけにもいかない。親にとって平日は子供は学校に行っているわけだし週末も部活で学校に行っている。最近の親は子供の部活の手伝いなどしているらしいが、なぜそんな事をするのかボクにはまったく理解できない。
学校は親元を離れてというより親から自由になって子供の自我を育てるところだと思っている。その場に親がしゃしゃり出ていったら自我など育つわけがないのだ。
親も学校も子供をかまい過ぎる。放任することがない。常に命令されているから指示されなければ何もできない「考えない子供」ばかりが量産されてしまう。

先日テレビの特集番組を見ていたらある親が「部活がないと家でゲームばかりしているから部活をやって欲しい」と話していた。そんなのは親の責任だ。親が甘やかすからダメな子供が育つのだ。家庭の躾も満足にできないくせに学校に全部押し付けるとは何ごとであるか。ただの親のエゴに過ぎない。
またこうも言っていた。

「週末に練習しなくては強くなれない」

そんなことは親が考えることではない。そもそも子供の部活を強くすることに何の意味があるのか。
「甲子園球児」という言葉がある。高校野球で甲子園まで勝ち上がったまたは選抜された野球部員である。何となく”野球エリート”のように感じるが高校球児たちが卒業後に野球で身を立てられることはほとんどない。プロ野球で活躍できるのは頂点に立つほんの数名だけだ。プロ野球というのは高校野球で頂点に近いいくつかの学校の中で”エースで4番”だったキャプテンの中のほんの一部だけが手に入れられるのだ。だからプロ野球選手はすべからく高校野球で”エースで4番だった”ワガママで高慢ちきな人間で構成されている。
ちょっと部活で活躍したくらいで手に入るものではない。

部活は勝つためばかりのものではない。友人が集まり先輩がいて後輩がいて仲間が集って何かを作り上げる経験ができる場でもある。
先程も書いたが、ボクたちのクラブは全国に名だたる名門校ではない。だからコンクールで金賞を取ることもなければ全国大会で優勝することも、いや地区予選に出ることもなかった。
そりゃそうだ。野球部の応援要員として学校主導でブラバンが作られ楽器も買い与えられたクラブだ。最初は経験者もほとんどいなかった。学校に楽器が届いた日のことは今でも覚えている。真新しい新品のケースを開けて取扱説明書を見ながら楽器を組み立てた。楽器の持ち方も分からずに

「フルートってどうしたら音が出るんだ?」

などと言いながら教則本と首っ引きだったようなクラブである。
その後、優秀な後輩たちも入学してきて数年後には演奏会も開いた。右も左もわからず沢山の人に多くのことを教えてもらいながらたどり着いたボクたちの一つの成果だった。当時演奏を指導してくれた講師の先生とは今でも交流がある。あの頃の仲間が集まると戦争に行ったこともないのに”戦友”というような感情が浮かぶ。
みんなが心を一つにして協力して何かを成し遂げることは楽しい。一人で頑張って何かを達成することも楽しいがみんなが集まって何かを作り上げることはその喜びを何倍にもしてくれる。

しかし、しかしだ。部活に求めるのはそれだけだろうか。合奏してみんなで音楽を作り上げるのは楽しかった。しかしそれに至る個人の努力があってこそ合奏が楽しめるわけだ。
親たちは言う。「部活動を休んだら弱くなる」と。それは部活動すらやったこともない部活動の楽しさを知らない人だ。自分ひとりで練習して頑張ってその成果をみんなに見てもらうことも部活だし自分も仲間も強くする。
アレをやらなければダメだ、コレをやらなければダメだと今の親は子供に干渉しすぎる。自分一人で自分を高めていこうとすることも全体練習に負けず劣らず素晴らしいことなのだ。

僕らの母校は当時から「子供の数が減ったら老人ホームになる」とか「病院になる」などと言われていた。母校がなくなってしまうのはちょっと寂しい気もするがボクたちはもう卒業して何十年も経っている。あの頃の思い出は楽しかったがそれは母校の校舎がなくなってもボクらの心に残り続ける。それは多くの人の手助けを受けたにせよ最後は自分たちでやり遂げたのだという自負なのだと思う。

あの頃、周辺にできた新設校はほとんどが閉校してしまったが、我が母校はまだ細々とその歴史の火を灯しているようである。