ハウツーが好きなニッポン人

学生の頃「POPEYE(ポパイ)」という雑誌があった。今でもあるかも知れないがボクは手にしたことがない。後輩の女の子が「うちのお兄ちゃんはポパイ人間だから」とちょっとバカにしたように話しているのを聞いたことがある。当時のポパイは”女の子にモテる”ためのマニュアル本と言われていた。普段の生活や趣味、ファッションを「ポパイ」が提案する通りに真似することで確実に女の子にモテるという触れ込みだったが、本当に効果があったのかどうか真偽の程はわからない。

思春期の男の考えていることなんてみんな同じようなもので「オンナにモテたい」ということが人生最大の関心事だったりするわけだ。そのためには自分の価値観やプライドなどさっさと捨てて「ポパイ信者になりなさい!」というような雑誌だったわけである。実際のところボクの関心事も同じようなものだったが、本屋でポパイを買っているところを誰かに見られたらと思うとそんな勇気すら持ち合わせていない弱気な少年だったわけだ。

学生時代はファッションとは縁のない生活をしていたのでいわゆる男性ファッション誌を手に取ることはなかった。というより今でも仕事で必要な時以外は立ち読みすることもない。そもそも基本的な本人の容姿が世の男性の標準をかなり下回っているのでファッションくらいでどうにかなるとも思えない。
これは想像だがファッション誌というからにはスラリとしたモデルさんがカッコイイジャケットかなんかをさり気なく着こなしているコーデとかの写真が載っているんだろう。「初夏を爽やかに着こなすボーダー柄のシャツとカーキのチノパンが木陰に似合う」なんていうコピーとコーデのアレンジ例なんかが出ているのではないだろうか。

ハウツー(あえてHow toとは書かずハウツーと書く)は定番とちょっと冒険した(ように見える)やり方の一般例である(ことが多い)。これはファッションに限らず何ごともお手軽にこなすためのマニュアルである。いまや本屋に並ぶ本のタイトルを見るとほとんどがハウツー本だし、それ以外は雑誌とマンガしか置いていない。いや雑誌の特集もそのほとんどがハウツーである。

ニッポン人はハウツーが大好きだ。ボクの親父もボクが物心ついた頃にはハウツー本ばかり読んでいた。車を買うとなれば「間違いだらけの車選び」、ゴルフを始めるとなれば「今さら聞けないゴルフの基本」、神社仏閣巡りには「行ってよかった京都のお寺」、盆栽に懲り始めると「三日でできる自慢の盆栽」。性懲りもないとはこのことだろう。どれも大成するどころか標準レベルになることもなく飽きてしまったようだが好きでもないことなのだから仕方がないだろう。自分にポリシーがないのだから仕方がないといえばそれまでなのだが「何でもいいのか?」と言いたくなるほどにハウツー本浸りの人間であった。

ハウツーは物事の細かい事実を知ろうともしない人たちが自分で努力することなく一人前であるかのように見せかけるテクニックを身につけるものである。本当には好きでもないことなので自分で方法を考えることもせず工夫もしない。それでも他人にバカにされるのは嫌なのだ。
”知らないこと”を「知らない」というのは恥ずかしいことではない。知らないことなのに知ったふりをすることは”知ったかぶり”といって誰からもバカにされる。自分が知らないことを知りたければ教えてもらえばいい。モノには道理があるので細かい事情や事実を知れば自然な立ち振舞ができるようになる。しかし何も知らずにハウツーだけを覚えて実践すると理屈に合わないトンチンカンなことをやらかしてしまう。周りからはハウツーだけを見てきた薄っぺらい人間だということがすぐに分かってしまうのだが、本人はベテラン気取りで周囲から失笑を買っていることにも気づかない。だから恥ずかしいとも思っていない。
不思議なことにそこらへんの感覚が逆なのだ。

ハウツーが大好きな人はそのハウツーを教えてくれた人を盲信する。理屈がわかっていないのでそれが常識的なやり方なのかどうかも判断できずに信用できない他人の作り話を簡単に信用してしまう。”詐欺”とまではいわないが、聞いたことのないカタカナの長い名前の有効成分とやらが入っているという健康食品にもすぐに飛びつく。そのほとんどは道端に生えている誰でも手にはいる雑草であったり缶詰に加工した食品の残りの殻だったりする。どんな成分でもそれだけに限ればどこかに何かが反応する。それを1200%いいように解釈すれば健康食品の出来上がりだ。ほとんどのハウツーに根拠はない。

道ではないところをショートカットすることは一見効率的に見える。面倒な手続きも努力も時間も掛けずに結果だけをすぐに手に入れられるような錯覚を見る。しかしそれは試験勉強の一夜漬けと同じだ。本質を見ないで答えだけを暗記しても結局は何の役にも立たない。別に精神論を言うわけではないがインチキせず時間を掛けてコツコツやることで知識も経験も血となり肉となる。王道とはインチキして近道することなく歩いてきた道のことをいう。それを忘れた人はインチキの森をウロウロと歩き回っているうちに人生が終わってしまうのだ。