効率第一主義は万能じゃない

以前、テレビの英会話講座に出てくる寸劇でアメリカ系企業の部長が”efficinecy”を連呼していた。英会話講座の内容とは全く関係ないのだが、ビジネスに於いて「効率」は確かに重要なテーマだ。日本でも高度経済成長期の頃から”効率化”は製造業を初めとして大きなテーマだったし、今でもほとんどの場面で効率化は求められている。
もっとも”効率化”だけを全面に押し出した結果、血の通わない温かみのない社会になってしまったという声もある。そういった面があることも否定できないが、それでもどこかで効率化を進めていかないと企業は生き残っていけないのが現実だ。

ニュースや新聞を見ていても様々な業種・業界で業務効率化のためのソリューションはあちこちで紹介されている。自動車のエンジン技術一つとっても30年前には熱効率(燃料を燃やした熱量全体から取り出せる運動エネルギーの割合)は23%が限界と言われていた。ところが今では市販車でも40%、競技用などの特殊なものでは45%ものエネルギーが取り出せると言われている。20数%から40%以上へ、実に倍近くの効率化が進んだわけだ。つまりエネルギーの必要量が変わらなければ燃料の消費量は半分で済む計算になる。実際に40年前の1600ccの乗用車がリッターあたり6~7kmしか走らなかったものが、今では2000ccの乗用車でも12km以上走ることができる。技術の進歩はかくの如く素晴らしいものだ。

このような社会に生きて効率化のことばかりを考えているのは、研究者としては一概に悪いことでもない。視野が狭くても究極を目指す分野がありNo.1を目指す人がいるからこそ科学技術などは進歩する。
一方でマネジメントという視点から見た時はどうだろう。マネジメントを考える時にはもう少し広い視野が必要になることもある。それが浅く広くなってしまってもだ。深く広く知ることができればそれが一番良さそうにも思う。しかしすべてを深掘りすることで全体を俯瞰して見渡すことができなくなることもある。広く見渡して全体の中の優先順位を見極めることも大切だ。

先の話で言えばガソリンエンジンやディーゼルエンジンなどの研究を行う人がいる。ところが時代は化石燃料から電気自動車にシフトしようとしている。その時にエンジンの研究だけを進めていればいいのか、ということになるだろう。電気自動車では動力となるモーター、燃料となる電気、全体を制御する電子機器やセンサーなどの新しい技術が必要になる。燃料にしてもバッテリーや燃料電池、太陽光などが考えられているが、恐らく将来的にはそれだけではないはずだ。バクテリアによる生物分解がエネルギー源になるかもしれない。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の中で主人公の乗る自動車型のタイムマシーンは、初期にはプルトニウムから大容量の電力を得ていたが進化系では生ゴミからエネルギーを作り出す仕様に進化していた。

そうなってくると今度は

”その効率化は本当にやる必要があるのか”

ということが問題になってくる。実際にヨーロッパや日本の大手自動車メーカーではディーゼルエンジン車の販売をやめるか縮小する方針を打ち出している。次の時代に生き残っていくためには、また次の時代に新しく進出していくのには何が必要なのかを見極めてそのための新しい技術を開発した上で効率化を進めていく必要があるだろう。そして効率化よりも先にやるべきことは

”まずは上手く出来るようになること”

だ。上手く出来ないのに効率を考えても仕方がない。ある程度上手く出来るという見込みを立ててから効率化をしないと効率化のための努力や労力は無駄になってしまう。上手くできないことを効率的にできても仕方がない。効率的に失敗できるようになるだけである。
以前にも書いたが物事には順序がある。確立されていない確定していないことを深掘りしていくことは、それに掛かる時間と労力を浪費するかもしれない。それならば決まっていない部分は先送りして”ほぼ確定したな”という部分から手を付けることが本当の効率化ということになるかもしれない。