キチンとすること

国会が揉めているらしい。詳しいことはよく知らないがたぶん週刊誌やお昼のワイドショーではいい加減な憶測も含めていろいろなことが言われているのだろう。詳しくわかったところで面白くもなさそうなので詳しくわかろうともしていない。
先日、ネットにこんな記事が載っていた。曰く、

安倍首相の国会答弁は時間稼ぎに終始していてまったくもって不真面目である。当人は「キチンとする、しっかりやる」と言っているくせに答弁からしてキチンとしていないのは如何なものか

というような趣旨であった。国会議員を始めとする政治家や官僚を始めとする公務員は何かが起こるとすぐに「これからはキチンとしてしっかりやります」と言う。キチンとするならまず初めに”何をどのようにキチンとするのか”を定義していただかないと、後になってキチンとしたかどうかも見定めようがない。

「キチンとする」「しっかりやる」「ちゃんとする」というのはそもそもどういうことなのだろう。
決められたルールに則って決められたことを決められたとおりにやり遂げる、ということがキチンとすることなのだろうと思っていたが、未だかつて「キチンとする」と言っている人がそのルールや方法に言及したところを見たことがない。
職場でも上司はすぐに「キチンとしろ」「しっかりやれ」と言う。しかし具体的なことについては何も言わない。恐らくその人もキチンとすることの意味を分かっていない。要するに「よくわからないが何でもいいからオレが気に入るような結果を出せ」ということなのだ。そんな勝手なことを言われても困る。いい加減な態度をとっている他人が何を気にいるかなど分かるわけがない。

「キチンとする」「しっかりやれ」などの言葉は、そもそも何をすればいいのか自分でも分からないのにやろうとしたり命令するにはとても便利な言葉だ。
たぶんこれらの言葉の中には”全力で”とか”手を抜かずに”という意味も入っているように思う。しかし手を抜かなければ必ずいい仕事が出来ていい結果が残せるのかといえばそういうものでもない。手を抜いてラクすることもなく時間の限り努力し力の限りに頑張っても成功することのほうが少ないのは誰でも経験することだ。だが「自分にはこれ以上はできない」という限界までやることでやった本人にもある意味での充足感がもたらされる。そしてそれを見ていた「しっかりやれ」と命じた人にもそう思わせる何かが伝わるのかもしれない。

例えば、夜になって急に入ってきた企画の仕事が徹夜して朝までかかったとしよう。一日働いて疲れているところに「朝まででいいから」などと言われても眠いボーッとした頭で抜群の企画など作れるはずもない。それでもなんとか体裁だけは整えたつまらない企画書を見ても上司はたぶん「よくやってくれた!」と言うのだ。

「キチンとやる」「しっかりやる」という言葉は、結果ではなく取り組む姿勢について述べているのではないかと思う。結果などどうでもいい。結論は二の次だ。日本人が好きそうな演出である。
そうか!だから政治家はこれらの言葉を好き好んで使うのだ。「頑張るから結果が出なくても怒らないでね」という意味が言外に出ているわけだ。

でも、それならせめて全力で手を抜かずに取り組んでいる姿くらいは見せて欲しいな。いい加減な態度で取り組んだ上に結果も出せないなら、そんな人はいらない。