「信用」は回復するものなのか

政治家や官僚があちこちで整合性の取れていない不可解な発言を繰り返している。”ウソをついてもいい場”なら呼んでもいいが、”ウソをついてはいけない場”に呼び出すことはできない、などとウソをつかせることを前提にした発言をしたり、「決済書類にハンコは押したがいつも全部に目を通しているわけではない」などという発言をする国務大臣まで出てきて呆れるばかりである。いや、実際にはそうなンだろうなぁとは思っているが、公の場で言っていいことといけないことがある。大臣になってそんなこともわきまえないのかと思うと、これからの日本はどうなってしまうのだろうと暗澹たる気持ちだ。

政治家や閣僚が、酔った勢いなのかどうか判然としないが、どうしようもない発言をして「前言撤回!」などということがよく見受けられる。いつも不思議に思うのだが、手続き上は前言を撤回すればなかったことになるのかもしれないが、一度口から出てしまった言葉は引っ込めようにも取り返しがつかないものである。「やっぱりアレはウソでした」と言っても「本当はそう思ってるに違いない」と思うのが普通の人間だ。新しい内閣などが出来て初めて閣僚に任命されたりすると本人は嬉しくてはしゃぎたくなる気持ちもわからないではないが、オトナなんだからもう少し思慮深くすればいいのになぁと思ってしまうのはボクだけだろうか。

鉄鋼メーカーや金属メーカー、ゴムメーカー、自動車メーカー、カメラメーカー、電機メーカーなど日本を代表するような大手企業で不正が頻発している。社長をはじめとする経営者は「信頼回復のために全社一丸となって…」とカメラの前で謝罪会見するのをしばしば見かける。恐らくほとんどの経営者はその実態を前から知っていたはずだ。よしんば知らなかったとすれば、それは経営者失格である。大体の謝罪会見では「現場が勝手にやったことで…」とトカゲの尻尾切りに走るが、しばらくするとあちこちの部署で不正が見つかって「全社一丸となって」不正をはたらいていたことが明らかになる。それでも口から出てくるのは「信頼回復のために」というセリフだ。

そもそもなぜ不正を起こすのか。
不正をすれば”損をしない”か”得をする”かのどちらかである。不正をして損をするのなら絶対に不正などするわけがない。得をするから不正を起こすわけだ

現場では毎日、生産性を上げて売上や利益を増やすことが求められている。利益を増やすことは経営者の絶対的な使命である。儲けられない経営者などいらない。しかし大企業になればなるほど経営者は現場から離れていく。経営者は現場の責任者に”利益を上げる”ように命令する。現場で利益が上がれば責任者の評価が上がりサラリーが増える。現場責任者は作業員に「もっと儲かるように仕事をしろ」と命令する。
しかしこのあたりになると現場が儲かってもほとんど評価されず、サラリーが上がることもないのだ。
収入が増えないのに責任と苦労ばかりが増える。これではマジメにやろうという気も起こらない。資本主義の歪みである。中間で搾取されてしまって末端にはそのオコボレもまわってこない。それならばやってないことをやったことにして帳尻を合わせておけばいいや、ということになる。不正の始まりだ。

不正は”やってもバレない”と思うからやる決意をする。バレて罰を受けるのならやらないほうがいい。現場では小さな不正から始める。ちょっと誤魔化しておけば現場責任者から怒られないで済む。ちょっとの誤魔化しで気分よく仕事ができるのならと不正を続けることになる。しかし企業のノルマは前年の10%Upが普通だ。頑張って10%Upしてもそれが普通になってしまったらサラリーは増えない。逆に前年のままならサラリーは下がる。下がるのは嫌だからもうちょっと多く誤魔化すようになる。
毎年10%の成長を続けていると今度は経営者から「なぜ毎年10%しか伸ばせないんだ」と言われる。責任者は現場に「今年は15%伸ばせ、15%がノルマだ」と命令する。しかし現場はそう簡単に伸ばせないのでまた不正の量を増やす。
経営者は「やればいくらでも伸びるじゃないか」と思う。そんなに簡単に伸びるのになぜ今までやらなかったのかと現場を責める。そこで現場の不正を認識する。でも利益を減らすわけにはいかないので不正を容認する。かくして不正は常態化する。

信用は長い時間を掛けて作られる。なぜなら相手が一度だけ思い通りの結果を残してくれたとしても、次にも同じようにやってくれるかどうかなんて分からないからだ。2度目も期待通りの結果を出してくれ、3度目も4度目も思い通りにやってくれて初めて「少しは信用できるかもしれない」と思う。しかし不思議なもので人は「次もうまくやってくれるだろう」と思うよりも「次は失敗するんじゃないか」と思う感情のほうが強い。失敗するんじゃないかと思っていたにもかかわらず事がうまく運ぶと「運がいい」とか「マグレだ」と思うが失敗すると「あぁやっぱり」と思う。
多くの人は自分の人生の中で”成功”よりも遥かに多い”失敗”を体験している。成功することは稀なことなのだ。

ようやく築かれた信用も一度失敗すると「やっぱりな」と思われる。それでも何十年も掛けて作られた信用は2回目までは何とか持ちこたえるが、3回続けて失敗すると「もうダメだな」に変わってしまう。そもそも信用がなければもう相手にされなくなる。もっと悪いのが「上手く出来ました」というのがウソだったときだ。上手くやったように見せてウソをついていたときには信用が失墜するどころか「2度と信用するか!」に変わり騙されていた思いが二度と消えることはない。

それは失敗を挽回する段階でウソをついたときも同じだ。ウソは信頼・信用の対義語である。一度裏切ったものを信用することは二度とないことは肝に銘じておかなければならない。