エッセイにハマっていた頃

学生の頃はずいぶんとテレビドラマを観ていまいた。中学生の頃にはNHKの「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」「獅子の時代」「岸辺のアルバム」(山田太一)、高校生になる頃には「前略おふくろ様」「北の国から」(倉本聰)、「早春スケッチブック」(山田太一)というようなドラマを観ていました。一方で世間で話題になっていた「おしん」や「渡る世間は…」(橋田壽賀子)などはほとんど見た記憶がありません。もっとも「おしん」などはNHKの朝ドラで、小学生の頃から遠距離通学をしていたボクは7時過ぎには家を出なければならず、学校へ行く時間を考えれば観られるわけがなかったのですが…。
こうしてみると観ていたドラマの作者・脚本家には明らかな偏りがあって、結果的には山田太一さんや倉本聰さんのドラマばかりを観てきたことになります。その後、時代はトレンディードラマ全盛になり、トレンディードラマの薄っぺらなストーリーに興味を惹かれなかったボクは、それ以降のドラマを観ることがなくなってしまいました。ボクのドラマ人生は20才前後のまま止まっているのです。

ドラマの脚本家に好みの偏りがあるということは自分でも小学生の頃から感じていました。脚本家によって好みが分かれるのです。一度”つまらない”と思った人のドラマは他の作品を見てもやはりつまらないことが多く、”いいなぁ”と思った人のドラマはやはり期待を裏切ることが少ないのです。ストーリー展開も台詞の言い回しも、そもそも根底に流れている思想が好みと合っているのだから当然といえば当然のことです。
そして観終わった後に心の中に何かが残る作品というものが何と少ないことかと残念に思っていました。
何らかの現実をリアルに描写することはプロの俳優さんや脚本家、演出家などのスタッフがいれば、ある程度完成されたものは数多く作れるのではないかと思っています。しかし人間の心の襞に引っかかり何かを訴えるような作品を作ることは、誰にでもできることではないのではないかと思うのです。
もちろん先に上げた橋田壽賀子さんの作品にもそういった素晴らしさが詰まっています。ただ、ボクの好みとそれが合っていないだけで作品を否定しているわけではありません。単なる好みの問題です。

最近では演劇の焼き直しである映画を観ることがあります。東京サンシャインボーイズの三谷幸喜さんなどは最近ではテレビドラマや映画の脚本でも大活躍されているのでご存知のかたも多いでしょう。NHK朝ドラの「あまちゃん」も書かれていた宮藤官九郎さんも演劇出身の脚本家です。あの方たちの脚本や演出はとても好きです。

演劇の舞台演出はわざとらしいと言われることもよくあります。ムダとも思われるで過度で派手な立ち振舞いや演出が肌に合わないという方もいらっしゃいますが、ボクは中学生の頃からシェイクスピアの演劇が好きでしたが、もちろん当時は舞台を見に行くお金などありませんからテレビで舞台が放送されたりする時にはよく観ていました。

もともと小説でも演劇でも、クサイと言われるほど”いかにも”小説らしい言い回しや演劇臭がプンプンするような大仰な立ち回りのほうが好きだったボクには好みが合っていたようです。
「ジュリアス・シーザー」のキャシアスとブルータスの別れのシーンでは

「永久にさらばだ、さらばだキャシアス!
 ふたたび会うことがあれば微笑み交わそうではないか
 会えなければ、その時はこの別れが役立つわけだ」

「永久にさらばだ、さらばだブルータス!
 ふたたび会うことがあれば微笑み交わすとしよう
 会えなければ、たしかにこの別れが役立つわけだ」
                 (訳:小田島雄志)

こんな持って回った言い方をされると「演劇でしかありえないなぁ」と思い「演劇っていいな」などと思ってしまうのです。

ボクは中学生の頃にそんな演出家や脚本家の方々のエッセイにハマって読み漁っていた時期があります。もちろんシェイクスピアなどには原作があるわけですが、作品の中での台詞回しや物語の展開、立ち振舞いなどには脚本家や演出家の主義主張や思想が色濃く映し出されているのだなぁと、そのエッセイなどを読みながら思ったことを覚えています。そしてそこには知識だけではない、それぞれの役者が演じる登場人物の感情表現をも知ることができると考えていました。
例えば山田太一さんの「早春スケッチブック」では息子役の鶴見辰吾さんに向かって本当の父親役である俳優の山崎努さんにこんなことを言わせています。

「お前ら、骨の髄までありきたりだ!」

青臭い学生時代、とにかく他の誰かと同じであることが許せなくて”ありきたり”なオトナを訳もなく否定しバカにしてきた時期がおそらく多くの男にはあります。オトナになって社会に出てすっかりしょぼくれて「世の中ってのはそんなに単純じゃないのさ」なんて思っている自分に”若かった青臭いあの頃”を思い出させるセリフには山田太一さんの学生時代の体験もあったんだなぁと知って、自分の今の生き方を考えるきっかけにもなったのでした。

自分の生きてきた道筋を否定して反省するだけではなく「そういえばあの頃はそんな青臭いことを考えていたんだな」と思い起こすことが、これからの自分の人生を惰性だけで過ごすのではなく、人生の分岐点に立った時に、ちょっとは自分に反抗して、違う方角から見つめ直してみる、なんてことができたらいいかもしれないなぁなんて思うのです。