物語こそすべて

■それ欲しいですか?
最近AIスピーカーというのが流行っている。「オッケーグーグル!」とか「 アレクサ !」と話しかけるとテレビの音を小さくしてくれたり部屋の電気を点けてくれたりするらしい。自分の声が届くような部屋の中にいるのだから立ち上がって(またはリモコンで)スイッチを入れたりボリュームを下げればいいだけのことなので、正直言ってボクにはこれらの存在価値どころか存在意義すら理解できないのが現在の心境だ。ボクがAIスピーカーに対して何のメリットも想像できないことが原因なんだと思う。
今までボクはいろいろなものを衝動買いしてきた。ノートパソコンやスマホ、タブレットを始めとしたパソコンや周辺機器、ダイビング用品、カメラ、ストロボ、ジョギング用GPS時計、レーザーポインター、液晶プロジェクター、デジタルペン、etc。今となっては「何でこんなもの欲しかったんだろう?」と思うものもたくさんあるが、その時は確かに「欲しい!」と思ったはずだ。でなければ買うはずがない。

■AI万能時代
AIスピーカー。今、テレビでも盛んに宣伝しているデジタルアイテムである。名前に”AI”と付いているが、もちろんそれ自体はAIではない。インターネットで他の場所にあるサーバと通信して送信された音声に対するアクションを送り返してくるだけである。送信先のサーバにはAIが含まれているのかもしれないがよく分からない。
しかし時代は何よりも「AI」なのだ。名前に”AI”と付ければ売れる時代だ。今までもそうした例はいくつもあった。曰く「ターボ」、曰く「マイコン制御」、曰く「オートマチック」、枚挙にいとまがない。随分前のことだがスポーツカーにターボエンジンが搭載されて話題になっていた頃、子供用の小さな自転車の泥除けに子供の字で「たあぼ」と黒マジックで書かれていたのには笑った。今でも東南アジアあたりの現地のタクシーには「NIKE」や「Adidas」と大書きされているものを見かけることは珍しくもない。なにより中身より看板が大切だ。

■せっかく流行っているので
話題になっているので、ネットでそれらのAIスピーカーのスペックを調べてみた。基本的に操作できるのはインターネットに繋がっている対応製品で、インフラ的にもまだまだ発展途上の段階のようだ。我が家の家電でインターネットに繋がっているものといえば、かつて地上波デジタルに変更されるときに買い替えたテレビくらいのものだが、これは形式が古いので対応していないらしい。エアコンなど20年近く前に買ったもので、インターネットどころか電源に繋いでも今にも壊れそうな音を出しているだけである。つまり我が家にはAIスピーカーでコントロールできるものは、ない。
唯一がパソコンだが、1日中パソコンの前にいる身にしてみれば、今触っているキーボードを叩いたほうが遥かに簡単だ。

つまり、今のところAIスピーカーはボクの生活を豊かにしてくれることはなさそうだ。仮に我が家の家電製品がインターネットに繋がっていてAIスピーカーを通して操作できたとしても、すでに目の前にあるものをわざわざ声で操作しようとは今のところ思わない。ただ先日、ボクが腰を痛めて動けなくなったときのように、体がいうことを聞かなくなった時には重宝するのかもしれない。でも「代わりにトイレに行ってきて」と頼めるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。

ボクなら、家にいるとき「届いた荷物を受け取って」とか「食事を作って」という要望を聞き入れてくれるならありがたいと思うけど、まだそこまでは実現できていないようだ。
結局のところAIスピーカーがボクの生活をどのように変えて感動を与えてくれるのかがよくわからない。コマーシャルを見ても話しかけると反応する”犬型のロボット”と何ら変わることがない。それなら犬型ロボットのほうが癒やしを与えてくれる分(聞いたところでは癒やしを与えてくれるらしい)楽しそうに思うのだ。

■エンジニアの性
エンジニアは何かを開発すると「アレができる」「コレができる」とスペックを詳しく説明したがる。自分が苦労して仕様を形にしたのだから”その苦労を分かって欲しい”と思うのだろう。ボクもエンジニアだった頃には「あの機能を付け加えればもっと凄くなる」とか「それを実装すればもっと使いやすくなる」などと考えてばかりいた。
でも買う人にとってはそんな苦労話はどうだっていいのだ。「性能がいいのはよくわかった。でもこれは私に何をしてくれるのか」「私の暮らしをどう変えてハッピーにしてくれるのか」にしか興味がない。何もしてくれないのならそれはすなわち、イラナイものだ。逆に自分の暮らしをハッピーにしてくれるのなら猛烈に欲しいと思うようになるかも知れない。

■人の性
人は自分で何かをやらなければいけないことは、基本的に嫌いなのである。何かをしてくれることは歓迎する。それが自分をハッピーにしてくれるのならなおさらだ。
それにならお金を出してもいい。物凄くハッピーにしてくれるならいくら出してもいいと思う人もいる。かっこいい商品やイメージの写真。それを所有している自分の姿。かっこいい、リッチ、頭がいい、仕事ができる、女にモテる、そんな姿が想像できればお金など問題じゃないという人もいるだろう。
望んでいる自分になれる、なれないまでも理想に近づけることだけがその”モノ”を欲しくなる原動力だ。
エンジニアだって人である。だから自分が買う側になった時にはそう思っているはずだ。でもひとたび開発側に立ってしまうとそれが見えなくなる。

■マジックワード
またそれは”簡単に手に入るほど魅力的”に映る。「○○するだけ」というのはマジックワードだ。人は面倒くさいことや複雑なこと、考えなければいけないことが嫌いだ。だが「○○するだけで誰にでも簡単に△△になれる」ならいくら高かったとしても断る理由がない。
でも実際にはそんなものはない。
誰だってそんなことは分かっている。そんなものがあれば既に皆んながそれを手に入れて幸せを実現しているはずだ、と思う。でも人は「そんな事あるわけない」と思っているのに「今度はもしかしたら」と思ってまた手を出してしまう。「次こそは!」と思う。博打に似ているのかもしれない。そしてほとんどの場合はまた失敗する。

■努力さえすれば
ハッピーな状態を手に入れるためには退屈な努力を延々と続けなければならない。そしてそれは誰もがが耐えられないほど辛い努力ではない。ないけれど、ほとんどの人はそれをやらない。
その努力が”誰もが耐えられない”ほどの努力なら誰ひとりそれになれていないはずだ。でも実現している人はいる。そしてそれは決して”世紀の天才”でもなさそうである。

最近では逆に「買っても努力しなければ夢は叶いません」と言われたほうがボクは信憑性を感じられるようになってきた。運は自分ではどうにもならないけれど、努力することは自分次第でどうにでもなるのだから。あとは自分がやるかやらないか、だと言われたほうが救いがある。「できなかったのは自分の努力が足りなかったからだ」と納得できるからである。

ネットやAI全盛の今、Googleで情報は入手出来ても自分の物語を得る事は出来ない。けれど”欲しい”と思わせること、”これさえあれば”と思わせることを語ることができれば人の心を動かすことはできる。

欲しいと思っている人をセールスマンの前に連れてくる

それこそがマーケティングの本質だとボクは思うのです。