すぐそこにある危機

赤信号の横断歩道に飛び出せば車に轢かれるかもしれない。冬の荒れた海に落ちれば死ぬかもしれない。だが”飛行機に乗れば落ちるかもしれない”と真剣に心配するのは一部の人に限られている。それは新幹線に乗れば猛烈なスピードでぶつかって死ぬかもしれないと考えるのと同じくらいに小さな確率だ。(もっとも先日の”台車亀裂事件”以来、確率は高くなったが)
日本で街を歩いていてテロに遭う確率は今のところそう高くはない。これらは何となく想像できる範囲だ。ところが今、この瞬間に大地震が来る確率や近くの火山が噴火する確率は、正直なところ誰にも分かっていない。

想定できるリスクに対応することは割と簡単だ。赤信号の時は道路に飛び出さなければいいのだし、冬の荒れた海に行く時には海岸線に近寄らなければいい。しかし青信号を渡っていても信号無視をして突っ込んでくる車がいないとも限らない。たぶんこれは飛行機が墜落するよりも何100倍も高い確率だ。
リスクというものはそれが起こる確率だけで考えるべきではない。ある程度想定されているのか、それとも想定を超えて突発的に起こるのかも考えるべきだろう。

日本列島に住んでいる限り(いや環太平洋地域に住んでいる限り)地震は避けられない。ということは当然想定内だ。どれくらいの確率かはわからないが明日雨が降る確率よりも低いだろう。確率は低いが突発的に起こる可能性は変わらない。例えば台風なら、現代のレーダーやスーパーコンピュータの進歩によって数日前から予測することができる。つまり突発的に起こる可能性は低いということになる。今この瞬間に突然台風がやってくる確率は非常に低い(絶対にない、とは言い切れないが)。リスクに対する準備をする時間があるわけだ。
突発的に起こることに対しては直前に準備をする時間がない。だから普段からある程度の準備をして続けている必要がある。いつ起こってもいいように備えておく必要がある。これは普段からあちこちで言われていることで、備えている人も多いことと思う。

では先に書いた信号無視の車の場合はどうだろう。歩行者は歩道を歩いているときより横断歩道を渡っているときのほうがリスクが高い。なぜならそこは車も通る場所だからだ。普通なら車は歩道を走らない。ならば横断歩道を渡る時、青信号であっても左右を見て確認することでリスクは減らせる。何も見ないで渡れば信号無視の車に轢かれる確率は高くなる。
道を歩いているときに前から自転車が走ってくる。自転車は何の前触れもなく急に進路を変えることがある。だから自転車のすぐ近くを歩けばぶつかる確率は高くなる。少しでも離れていればそんなときに避ける時間もわずかにできるのでリスクは減らせる。だからボクは走っている自転車のそばは歩かないようにしている。相手が何を考えどういう行動をするかわからないからだ。そういう意味ではボクは他人をまったく信用していない。それは故意であれ無意識であれ、突然に起こることだ。だから普段からそれに備えて自転車から離れて歩くことを習慣にしている。

去年の春先に那須で高校生たちが雪崩に巻き込まれる死傷事故が起きた。雪が積もっていれば、しかも前日から大雪が降っていたなら、比較的登山に慣れた指導者なら雪崩が起きることは当然予想できたはずだ。だが実際には訓練を強行して大惨事が起きた。いまここでその顛末や責任の所在を議論するつもりはない。ただその時、指導者たちは雪崩のことを甘く考えていたか意識の外にあったのだろう。だから”雪崩は突発的に起きた”と思ったに違いない。なぜなら雪崩が起きると事前に想定していたら、生徒を連れて山に入るはずはないのだから。
そんな時、人は「こんなことになるとは想像していなかった」と言う。これは想像力の欠如という以外にない。

「日本ではどこでも地震が起きると思え」「地震が起きたら津波が来ると思え」「雪が積もったら雪崩が起きると思え」「大雨が降ったら洪水になると思え」…「人を見たら泥棒と思え(笑)」。
ほんのちょっとこれらのことを頭の片隅に入れておくことで想像力は圧倒的に鍛えられる。突発的に起きているように見えたことも想定内の出来事になり備えることもできるのだ。
ボーっと生きていては何事もすべてが突発的な出来事になってしまう。