四角い部屋を丸く掃く

昔のドラマなどでは、お姑さんなどが必ず窓のさんや戸棚の縁を指で撫でてホコリを拭い「こんなことではマコトさんがお気の毒ですわ」などと嫌味を言う場面があったものだ。我が家では昼間の留守中にロボット掃除機を掛けて出掛けるのだが、見た目には大して汚れていないようでも掃除機のフィルターはホコリだらけになっている。不思議なことに部屋の真ん中のホコリはあまり目立たないのに、隅っこのホコリはすぐに目に付き、隙間の汚れは目立つものである。
恐らくは、全体的な薄っすらした汚れよりも”縁(へり)”の方がコントラストがあって視覚が反応しやすいからではないだろうか。

「四角い部屋を丸く掃く」とは大雑把な性格で面倒くさがりな人を評する言葉だが、時には”丸く掃く”事が必要なこともある。緊急事態でとにかく必要な部分だけを先に済ませてしまいたい時、細かいところは後から手直しするにしても、必要条件だけは満たしたいときもある。考えようによっては”最低限必要な部分だけをやる”のだから効率的なやり方にも見える。
普段、部屋の隅から隅まで1ミリも余すことなく使っているという人はあまりいない。全体的に見れば居間やトイレの使用率は高く、寝室は寝ているとき(意識のない時)しか使わず、納戸は使ってはいてもモノを置いてあるだけである。ならば居間やトイレの、それも真ん中だけをとりあえず綺麗にしようというのはあながち間違ってはいない。

ところが、トイレに入って用を(特にBig Benなど)を足している時、視線は自然と部屋の隅にいく。「こんなところに髪の毛が溜まって」いたり「ペーパーの破片が目についたり」するのだ。たぶん来客者も同じようなところに視線がいくであろうことは容易に推測できる。どうして自分が使っているその場ではなく、使いもしない部屋の隅が気になるのかはわからないが、自分が使っている場所は自分からよく見えないから、自分でもよく見える使っていない場所が見えて気になってしまうのか、などと思ってみたりもする。

先日、歯科医院で衛生士さんに言われた。「皆さん、1本の歯の真ん中あたりはよく磨かれるんですけど歯と歯の隙間が疎かになってるんですね」。確かに歯を磨く時は歯の真ん中あたりにブラシを当てて磨くことが多いような気がする。「汚れが落ちにくいのは歯と歯の隙間なんです」と。考えてみれば隙間には汚れが残りやすいしブラシも届きにくいから落としにくい。理にかなっているが言われないとやらない。
それからは全体的に磨いた後で小さなブラシに持ち替えて歯の隙間や並びの悪い凹部分を細く磨くようにしている。更に歯間ブラシを使って歯と歯の間も磨くようになった。そのせいか、毎日飲んでいる紅茶の茶渋(?)のような汚れが目立たなくなった。(もちろん一度は歯科医院で汚れを落としてもらってからです)
この場合はセンター部分の汚れが一番目立つものの、隅まで綺麗にしておかないと全部が汚れて見えてしまうことになる。
3ヶ月に一度、歯科医院で健診を受けているが、次回こそは衛生士さんに褒められるのではないかとワクワクしている。

一方で、自分で何かを作る時には、とにかく全体を完成させることに精一杯で細かいディティール部分は省略しがちである。今までもコンピュータのプログラムやシステム、広告プロモーションやイベント企画などを作ってきた。全体像を決めて細部に落とし込んでいくのだが、細かくなればなるほど現場では果てしなく時間がかかるようになる。全体像の設計に時間がかかるのはもっともだが、それはベクトルの向きや大きさを考えることが中心でディティールを作る作業ではない。
最後のディティールを仕上げるためには試行錯誤を繰り返して部屋の隅まで綺麗に拭き上げるような緻密で根気のいる作業が続く。ともすると全体の形ができてともかくも動くものがある程度できてしまうと、細かい部分まで神経を使う力が残っていないこともある。そのために最後は現場任せになってしまい、詳細な事情が分かっていない現場の判断でディティールを省略してしまう。そうすると「全体的には動いているがどこかチープ」な印象を感じさせる完成品になってしまうことになる。

全体はもちろんのことディティールに至るまで、何度も見直して自分が”使う人”になって見ることが肝心だ。自分が買って使ったときにはどう感じるだろうか、に思いを至らせて見なければいけない。作る側からの視点だけでは部屋の隅のホコリまでは見えないことが多い。
自分から見て目立つところだけでなく、目立たないこともコツコツやらなくてはお客様が満足するものは作れないと思う。
シーズでもニーズでもない、使う人がどう感じるかを想いながら作ることをこれからも忘れないでいたいと思っている。