謝罪の美学

人が怒ったり文句を言うのには訳がある。訳もなく怒るのはアレだ。然るべきところに通報したほうがいいだろう。

「誠意を見せろ」

謝っても何をしても許してくれないお客さんは大抵最後にこう言う。誠意って何かね。こんなお客さんにとっての誠意はほとんどの場合「お金」だ。誠意とはすなわちお金のことである。だがここですぐにお金の話を持ち出してはいけない。相手の感情を逆なでするようなものだ。話を短く切り上げたければなおさら、安易にお金の話を持ち出すのは得策ではない。相手が「金じゃねーんだよ!」と言い始めたら話はこじれる。いやしかし最後はお金の話なのだ。問題が”取り返しの付かないこと”ならなおさら、落としどころはお金以外にない。
だが相手がお金の話を持ち出してくるまでは決してこちらから「お金で解決しましょう」という素振りを見せてはいけない。相手に口実を与えてこじれるだけだ。
子供のケンカではないが、謝って済むならケーサツはいらないのだ。

ボクも今まで随分とたくさんの問題をお金で解決してきた。ホテルでは普通、クレームのことをコンプレイン、略してコンプレと呼んでいる。”苦情”ではない。お客様の”ご要望”だ。
クレームやコンプレインを手際よく決着させるには手順が大切だ。感情的に相手を否定しても解決はしない。
まずは黙って相手の言うことを聞くことだ。相槌を打つだけでこちらからは何も喋ってはいけない。肯定も否定もしないで相手にしゃべることがなくなるまでとにかく聞くことだ。最初は怒って逆上していた人も、自分の云いたいことを全部喋ってしまうと不思議と怒りが収まっていることが多い。それでもまだ逆上しているなら、聞き方が足りないのだ。

それから一息おいて、相手が怒ることももっともだと、まずは肯定する。そして自分たちが普段やっていることを正直に話しだす。ここは特に淡々とやっていることだけを話す。相手を説得しようなんて思ってはいけない。その上で相手が怒っている状況に触れ、自分たちが至らなかったことを詫びる。相手が誤解して怒っていたとしてもだ。相手を否定するようなことは決して言わないことが鉄則だ。
この段になれば相手も「だから〇〇しろ」と何らかの要求を出してくるはずだ。「土下座しろ」というなら土下座すればいい。安いものだ。もっとも最近ではそんな事をすると刑事事件になりかねないので、そんな要求をする人は少なくなった。
要求を出してこなければここで円満に解決する可能性もある。相手に要求を出させれば解決の糸口が見えてきたも同然だ。その要求を飲むか飲まないかである。軽微な要求ならその場で飲んでしまったことも少なくない。相手が逆上していなければ無茶な要求を出してくる可能性も少なくなる。

一番簡単なのは、怒っている相手が最初から「安くしろ」とか「タダにしろ」と言ってくるいわゆる”クレーマー”である場合だ。この場合はこちらに非がないケースが多い。相手が難癖をつけているだけのことがほとんどである。そういう場合は理詰めで、元々は相手のワガママだ、ということを説き伏せればいい。「こんなアタリマエのこともわからないなんて、あなたも頭が悪いですね」という雰囲気に持ち込んでしまえば、相手もワガママを押し通すことが自分の頭の悪さを認めることになるので、捨て台詞を吐きながら引き下がる場合が多い。ここで簡単にお金で解決しようとすると、相手は更に漬け込んでくるので解決しなくなる事が多い。こう言うお客はいわゆる”悪い客”なので”二度と来なくてもいい”というつもりで半分追い払うのが得策だ。

こちらが一方的に悪い場合は事情が違う。
こちらが悪いと分かったらとにかく謝る。徹頭徹尾謝る。謝ると決めたら一切の言い訳をしてはいけない。こちらが悪いといっても実際には100%全部が悪いことはあまりない。8割くらいは悪いとか、7割程度は悪いと事情によってウエイトは様々だ。しかし一旦、自分の方が悪いと思って謝ると決めたら「相手だって悪いじゃん」と思ってもとにかく謝り通さなければいけない。1ミリでも言い訳をした途端にそれまでの謝罪は全部水泡に帰す。逆にもっと悪い状況に陥りかねない。相手から見れば「こいつ、自分が悪いくせに謝る気あんのか」と思われること間違いなしだ。

企業や病院、お役所、政治家が毎日のようにテレビに出てきては謝罪する姿を見るが、心から申し訳ないという気持ちが伝わってくる謝罪会見をほとんど見ない。みんな”自分ではない誰かのために”謝っている、もしくは”自分ではない誰かのせいで謝らされている”と思っていることが透けて見えるのだ。謝罪というのはただ頭を下げて「申し訳ありませんでした」と言うだけのものではない。「あなたに迷惑をかけてしまって申し訳ない」と思ってもいない人が謝っている姿も見せられても何も感じない。逆に「なぜあなたは謝っているの?」「誰に謝っているの?」という会見を見せられても何も感じないばかりか、ここでわざとらしく謝っている姿を見せることで「何を企んでるの?」という猜疑心さえ芽生えることもある。

苦情ではないがこんな光景を覚えている。
かつて建設会社の社長をやっていた親戚の叔父さんがいる。ボクが子供の頃からそこそこの小金持ちだったように記憶している。ある時、車を運転しているときにスピード違反で取り締まりに捕まった。当時は高飛車だった取り締まりの警察官にさんざん嫌味を言われていたが、一切弁解することも反抗することもなくペコペコと頭を下げて謝っていた。隣に座っていた奥さんに「よくあんなこと言われてペコペコと頭を下げられるわね」と言われた時の叔父さんの言葉を覚えている。「オレはアイツに謝ってるんじゃない。お金に頭を下げてるんだ」と。やっと稼いだ大事なお金なのに、こんなくだらないことで取られてしまってお金に対して申し訳なくて頭が上がらない、と。なるほど、嫌味な相手に頭を下げるのは腹も立つが、大好きなお金のためなら平気で土下座もできるのだと。ものは考えようだ。
平身低頭する叔父さんの姿に警察官も「これからは気をつけるように」と言ってすぐに反則切符を切って開放してくれた。「どうせお金を取られるんならムダな時間を使いたくないんだよ。時は金なり」。叔父のお金に対する徹底した価値観を見たような気がした。

謝罪には美学がある。何でもただ頭を下げればいいというものではない。悪質な相手でない限りは相手との間に”しこり”を残さないことが大切だ。怒ってくるお客さんは得意客になる可能性が大きい。ボクがレストランのマネージャーをやっていた頃の上得意はそんなお客さんばかりだった。