家を買うバカ買わぬバカ

ヨーロッパなどに行くと旧市街の古い町並みの中には築数百年という古いアパートがいくつもある。西洋では”家を買う”といえば半分以上は中古住宅のことであり、新築の物件はそんなに多くない。建物自体が石造りの建築であったり地震などの天変地異の少ない地方では自然に古い町並みが残りやすいのかも知れない。しかし一方で、第一次、第二次の世界大戦やその後の民族紛争、内戦などでことごとく破壊された街も、特に東ヨーロッパやバルカン半島には多いと聞く。以前にクロアチアを旅したことがあるが、アドリア海を挟んでイタリア半島のすぐ隣りにあるこの地域でも1995年に独立するまでは激しい戦闘に晒されたところなのだと聞いた。ポーランドなどでは第二次大戦中にほぼ全てが壊滅させられた街もあったが、戦後になって住民たちが崩れ落ちたレンガを積み直してかつても街並みを再現したのだという。それほどまでに彼らの家や街に対する思い入れは深い。

ところで日本で家を買うといえば戸建てでもマンションでも新築物件が人気だ。賃貸アパートですら新築物件から埋まっていく。日本人の新築住宅に対する思い入れは非常に強い。不動産取引の指標の一つは新築住宅の着工件数であり新築マンションの販売戸数だ。中古物件はあまり人気がないしあまり流通もしない。

■ニッポン人が家を買うということ
古来、日本では家は先祖から子孫に受け継ぐものだった。日本の男にとって自分の家を建てることは「男子一生の仕事」と言われた。その家を守り子や孫に受け継いでいくのだ。今でもそんな雰囲気を残した町が地方にはある。そして都会を含めて多くの人は「子や孫に残せる資産」のつもりで家を買う、らしい。
しかし、今の都市部では、たとえ子供が出来たとしても子や孫はその家には住まない。半分は都会に出ていく。ボクが小学生の頃には「核家族」という単語が社会の教科書に載っていた。成人して就職や結婚を機に実家を出て夫婦二人で家庭を築き子供を育てる家族のことをそう呼ぶのだという説明があって、最近では核家族が増えているというコメントまであった。
今では、特に都市部では各家族が普通であり、子供のいないかつてのDINKS、単身者や結婚しない人生を選んだ人などは半数以上に及んでいる。進学で親元を離れて都会の学校へ通う人は普通だし、就職と同時に転勤を命じられてまったく知らない土地に引っ越すこともあるだろう。いずれにしても日本の都市部では自分が生まれ育った町で一生を終えることは少ない。
その傾向は東南アジアでも顕著になってきており、中国、台湾を始めとしてタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、カンボジア、ベトナムなどでは地方から各国の首都や大都市、そして遠く日本までやってくることも多い。現代のアジアではそれが普通になりつつある。

■古びた家だけが残った
もともと子供がいなかったり、育った子供たちが都市へ出てしまった後、年老いた夫婦と残った家はどうなるのか。
ボクが育ったのは関東近郊の町の、かつてのいわゆる新興住宅地だ。今では開発から半世紀以上が経ち、当時は建売で分譲された家もそのほとんどが建て替えられた。近隣に住んでいた幼なじみたちはそのほとんどが東京や横浜、転勤などで別の地方に移り住んでいて9割方が元の実家には残っていない。そもそもその実家すら持て余してマンションに引っ越してしまった親世代の老夫婦も多い。子供が家族を連れて戻ってくるアテはなく、住人は老いていき家は朽ちていく。
そんな状況はボクたちのすぐ傍らにある。それでも日本人は新築住宅を求めて奔走するのだ。

■賃貸住宅に住み続ける不安
ならば賃貸住宅に一生住めばいいという人もいる。ボクもかつては職場に合わせて賃貸アパートを点々としていた。確かに賃貸は気軽だ。莫大な初期費も必要なく、生活事情が変わればすぐに引っ越すことも可能だ。だが賃貸住宅に住むには、他人である大家さんとの賃貸契約が成り立ってのことだ。現在でもほとんどの賃貸契約には”保証人”が必要だ。保証人には毎月の安定した収入があることが条件である。
自分の親が生きているうちはなんとかなる。年金であれ何であれ安定した収入と認められることが多いからだ。しかしいずれ親は先き逝つ。
そのとき誰に保証人を頼むのか、賃貸契約はどうなるのか。もちろん長期間に渉って住み続け、大家さんの好意で住み続けられることもある。しかし大家さんも人間だ。歳を重ねて子や孫に不動産を相続するかも知れない。そのときに大家さんとの信頼関係はどうなるのか。立場が変われば契約も見直される。ことは自分の安全保障の問題になる。

■最後まで安心して住める場所が欲しい
賃貸は他人との契約の上に成り立っている。いつ他人の意思で状況が変わるかわからない。20代の頃、賃貸契約を繰り返し、継続する中でそのことが不安になった。いつかは何とかしなければならないと思った。
ところが自分が所有する家があっても、自分たちがこの世を去ったあとその家は誰がどう処分してくれるのか。既に親もなく子もいなければ天涯孤独と同じだ。孤独死だけを心配していればいい訳ではない。
賃貸なら、前述の問題をクリアして入居さえできれば死ぬまで家賃を払っていればいい。死んだ後は家賃が払われなくなるので最悪でも1ヶ月以内には発見されるだろう。マンションや持ち家はどうする。残しても仕方がない。引き取り手もいないのだから。もし理想を言うなら、自分が生きているうちに住宅を消費してしまえればいい。相続する人もいないのなら、いても喜ばれないのなら自分が生きているうちに家を消費しながら生きられれば理想ではないだろうか。

■家を消費するという考え方
自分の持ち家や分譲マンションなら固定資産税やマンションの管理費さえ払っていれば、基本的には死ぬまで追い出されることはない。しかし自分が死んだ後の家はムダだ。できることなら家を切り売りして生活できればいい。果たしてそんなことはできないのか、ちょっと考えてみる。
前に書いたように今の日本では中古住宅の流通は盛んではない。これをうまく流通させる方法はないだろうか。例えば、法規制などの問題を抜きにして考えた時、
銀行や保険会社、不動産会社など(どこでもいいのだが)が住人本人と「住人自身が死んだら所有権は自社のものになる」という契約を結んだとする。具体的には抵当権を付けるようなイメージだろうか。その代りにその家を担保にして住人にお金を貸す。お金の使い道は住人の自由だ。ただし住人は借りたお金を返さない。つまり質屋でいえば「死んだら質流れ」という条件でお金を貸す訳である。結局は質流れにしてしまうのだから借りられる額は相場よりも少なくなるだろう。しかしそのお金は本来は生きているうちには貰えなかったはずのお金だ。
一方、契約を結んでお金を貸した銀行なり保険会社なり不動産会社は、住人が死んだ後はその住宅や土地をタダで貰い受ける。家やマンションを抵当にお金を貸すのだからハードルは低いようにも思う。貰い受けた後はリフォームして売るなり壊して新築を建てるなり好きにできる。質流れにする分のお金だけ居住者に出して最後は自社の所有物として転売すれば、うまくすれば土地を買って造成して新築物件を建てて売るよりも利益は上がるかも知れない。
そんな仕組みを作ることで家やマンションを持て余している人たちもハッピーな最期が迎えられるかも知れない。

無責任に書いてきたが、今、何らかの手当てをしなければこれからの日本には廃れて荒れ果てた町と廃墟だけが増えていく。
自分自身の始末も大切なことだが、今の日本の社会が変わらない以上、身の回りや社会への配慮をしない限り、自分自身の納得が得られる人生の終わり方はできないような気がしている。