人の話を聞こうよ

「話す時は相手の目を見て話しなさい」「相手の話は最後まで聞きなさい」とは子供の頃によく言われたことだ。
幼い子供は自分のことしか見えていないから自分が思ったことだけを口に出す。「〇〇しなさい」と言われても自分が最優先なのでとりあえず後回しにしてすぐに忘れる。「子供ってそうだよね」と誰もが納得する。

宴会の席で誰かがハワイの新婚旅行の思い出話をしている。周りの人は大して興味もなさそうだが「ふーん」とにこやかに聴いている。すると話の途中で「私がハワイに行った時はさぁ~」と突然大声で話し始める人がいる。皆は突然の出来事に大声の主を見る。大声の主は「ワイキキのヒルトンのレストランが~」と話を畳み掛ける。最初に話していた人は話の腰を折られて気分悪そうな表情をしているが、怒るのも大人げないと思っているのか話を途中で打ち切る。
何であっても途中で強制的に中断されるのは気分がすっきりしない。小学校の体育の時間、サッカーの試合をしている最中にチャイムが鳴り、先生が「はいそこまで、終わり」と告げられたような気分である。えっ?試合はどうなるの?

他の人の話の途中で遮って自分の話を始める人もいれば、話の途中で相槌を打ちながら「あー、あるある。それってさぁ~じゃない?頭くるよね~」と話を先回りして解ったように返事をする人もいる。
他の人に話をするときには話の「起承転結」を作る。どうしてその話をするのか、という導入から始まって、エピソードなどを交えながら最後にオチを持ってくる。どちらかと言うと、頭の中では最初にオチを思いついてそのオチに持っていくために話を組み立てることが少なくない。だからオチの手前で腰を折られると「何だよぉ!」という気分になるのである。
ただ話の途中でそのオチが「大したオチじゃないな」と思い始めると「誰か話の腰を折ってくれないかな」なんて思うのだから勝手なものだ。

話の途中で割り込んでくる人にもいろいろな種類がある。とにかく「自分を見て見て!」という人もいれば、自分が思いついたことをすぐに口にしないと済まない「精神垂れ流し型」。あなたの話は面白くないから私がもっとウケる話をするわという「自意識過剰型」など様々だ。
人の感情の中には「自分を認めて欲しい」という気持ちが相当に強く関わっている。もちろん「誰かの役に立ちたい」とか「他の人より優れていたい」という感情もかなり原始的で強力な感情だ。それは「死にたくない」とか「お腹いっぱいでいたい」「子孫を残したい」「苦しい思いをしたくない」などの感情の次に来るものだ。だから他人の注目を集めること、すなわち自分を見て欲しい、自分に注目して欲しいという感情は自然なことなのだと思う。他人と話をするときには誰でも多かれ少なかれこういった感情を持っていると思う。誰とも関わりたくなければ、他人と会うこともなく話すこともなく部屋に一人で引き籠もっていればいいのだから。そんな人がいないわけではないけれども…。

だが一つだけ確かなのは、相手の話を最後まで聞かなければ相手が何を言おうとしているのかわからない、ということだ。先に行ったように話のオチは最後にくる。落語も最後の落ちまで聴いて初めてその噺の面白さが分かる。他人の話などどうせつまらないことだし、話の内容なんて分からなくてもいいと思うから相手の話の途中で話し始めてしまうのかも知れない。

などと偉そうに書いているが、ボクも相手の話を最後まで聞かない方である。とても失礼なことだと思いながらこの悪癖はなかなか治らない。きっと精神の鍛錬が足りないのだろうと思う。死ぬまでに少しでも治ればいいと思っているが、いささかの自信もない。

ところで、断っておくが文中のセリフが女性風になっている部分が多いが、決して女性だけの話をしているわけではないので誤解のないようにしていただきたい。