「食べ放題!飲み放題!」。学生の頃には夢のような響きだった。「いくら食べてもいいんだぜー!」「いくら飲んでもタダなんだぜー!」(タダじゃないけどね)。とにかくすべてが自由な感じがして思う存分胃袋の限界まで飲み食いしたものだった。あれから数十年、中高年になった今となってはほとんど魅力を感じない。食べ放題で美味しくない料理をたくさん食べなきゃいけないなら、美味しいものをちょっとだけ食べる方が何倍も楽しい。そう思うようになった。
学生の頃はとにかくいつも腹が減っていた。多少不味かろうが口に入って満腹になれば幸せだった。それは終戦後の食糧難とは違う思春期にありがちなハングリーさであり単純な空腹感だ。部活帰りには学校近くの食堂でコロッケ定食を食べ、その向かいのお好み焼き屋でお好み焼きを食い、通学途中の駅で途中下車して立ち食いそばを食べるような毎日だった。とにかく量より質で満足できる年頃だった、まだグルメなどという概念はボクらにはなかった。
たぶんそれは40の声を聞くころまでは続いていたように思う。もちろん10代の頃のようには食べなくなったが仕事帰りの一杯でも安かろう不味かろうで満足だった。その頃から安居酒屋でチューハイの飲み放題が流行り始めた。水のように薄いチューハイでも10杯、20杯と飲めばそこそこに酔っ払えてお腹もくちくなった。
40も半ばを過ぎるとだんだんと食欲も落ちてくる。取り立ててダイエットなどしていたわけでもないのに食べられる量が目に見えて減ってくる。脂っこいものより刺身や漬物のほうが良くなり、ご飯ものや粉モンなど食べてしまうとそれ以上は食べられなくなってしまう。お酒もチューハイからワインなどに変わっていき、量を飲んで酔っ払うより美味しいものを少しだけ飲むようになってくる。というより不味いものをたくさん食べなければいけないのは苦痛になってきた。どうせ量は食べられないのだから食べるのなら美味しいものを少しだけつまむようになってくる。次第に食べ放題や飲み放題に魅力を感じなくなってくる。
「○○放題」と聞くと若かったころには「どれだけ飲んで食べれば元が取れるか」が大命題だったが、量を食べないとなると元を取ることなど考えなくなる。それに食べたいものを食べて飲みたいものを飲んでも○○放題よりも圧倒的に安いのだ。安居酒屋からは足が遠のいた。
子供の頃にスキー場で「リフト券」というものが初めて売り出された。それまでは回数券だけだったものが1日3000円で乗り放題になった。子供だったボクは朝から晩までリフトに乗り続けた。しかしスキー場ではどんなに早く滑り降りようがリフトに乗っている時間は短縮できない。結局1日中休みなく乗っても回数券で乗るよりもわずか1~2回しか多く乗ることはできなかった。しかし別の効能があった。リフトに乗るたびに回数券をもぎってもらう必要がなく、1日券を見せるだけで乗れるようになったのは都度都度グローブを外す必要がなくなって手間がかからなくなった。それは金額に代えられないくらいの便利さだった。
食べ放題飲み放題も職場の歓送迎会の時に幹事は面倒な計算と予算内で収なければいけないハラハラ感をなくす意味で大きな効果がある。特に若者が多い職場ではなおさらだ。だから勢い職場の飲み会では飲み放題の店が多くなる。でも得てしてそんな店の料理はチープで美味しくない。だからボクは40を過ぎてから職場の飲み会には必要最低限しか行かなくなった。
死ぬまであと何回食べられるかわからない食事である。つまらないものでお腹を満たしたくないのである。
コメント