せっかく他の人と話をしているのに自分のことばかり話し続けて相手に一言も喋らせないという人は結構います。相手が話し始めようとすると話を遮って無理やり自分が話し始めて関係ない話を始めます。逆に相手が一言でも発し始めるとすぐに自分の話をやめて相手の話を聞く体制に入る人もいます。もし自分が何かを話したいと思っていたらどちらが話しやすいですか? いや相手が一言も喋らせてくれなければ話すことすらできませんね(笑)
大抵の人は自分が話したいと思っているときには黙って話を聞いてくれる人を好みます。たとえ自分が「人に話すのは苦手」と思っていたとしても、心を許した親友には小さな声でも最後まで話したいと思うのではないでしょうか?
そもそも日本語は最後まで聞かないと結論が分かりにくい言葉です。「だと思う」のか「だと思わない」のかは言葉の最後に出てきます。”I have no ~”のように言葉の冒頭に冒頭に否定か肯定かがはっきりしている言葉にはない曖昧さがあります。だから話しながら相手の顔色を見ながら正反対の結論にするようなことさえ簡単です。相手の話の途中で遮って自分が話し出してしまえば結論がわからないままになります。
自分が話しているとき、同時に相手の話を聞くことはできません。聖徳太子は10人の話を同時に聞くことができたと言われていますが、おそらく自分が話しているときに相手の話を聞くことはできなかったのではないかと思います。
それでも最後の最後に「自分のことばかり話してしまってすみません」と言う人はまだ救いがあるというものです。もっともそうなってから改めて相手の話を聞く気があるのかどうかは疑わしいものですが…。自分のことばかり話して相手の話を聞こうとしない人は(多くの人はそうですが)、相手に対して「オレがオレが…」ということで自分の優位性を示したいのです。もっともそれは人間だけでなく多くの動物の本能かもしれません。
自分より格下(だと思っている)相手を威嚇したり暴力を振るって怖がらせていうことを聞かせるのは、最近隣国に武力侵攻しているどこかの国の大統領を見ればその愚かさは明らかですが、やられる方にしてみれば”殴られれば痛い”のも事実です。「やめてくれよぉ〜」とのび太がジャイアンにお願いしても最後はドラえもんのポケット(武器)を頼りにしてしまうのも事実なのです。相手の話を遮って自分の主張だけを押し付けようとするのはひとつの言葉の暴力だと思うのです。
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