「行列のできる〇〇」というのは”人気のあるお店”と同義で、言い換えれば一般的には「旨い店」や「お得な店」ということになえります。でも本当にそうでしょうか? 過去には何度かボクも行列の後ろに並んだ事があります。「みんなが行列するくらいだからさぞ美味しいに違いない」と期待して入ったお店の多くで期待は裏切られました。でも店内にいるほとんどの人は「美味しい!」「さすがに有名店は違うね!」と大いに賞賛しているのです。そう? そんなに美味しい? ふーん、そうなんだ。
人は、特に日本人は他の人と同じ物を持ったり同じことをするのが大好きです。特に有名タレントやアイドルたちが「美味しい!」と言えば絶対に美味しいと思い込みます。最近ではお笑い芸能人のの宮川大輔のセリフを真似て他のタレントまでバラエティ番組で「コレ、絶対美味いヤツやん!」と絶叫するようになりました。それはビーフステーキや焼肉、高級グルメバーガーや有名店の唐揚げなど、巷の女子に言わせれば”絶対にヘルシーじゃない”、”罪悪感以外の何者でもない”食べ物がほとんどです。どんなに高いサラダを出されても「すっごいヘルシー!」とは言っても「絶対美味いヤツ」とは言いません。”絶対美味いヤツ=悪者”なのです。言ってみれば、若者にとっては”悪者”を口にすることが”カッコイイ”ことの裏返しというわけです。もっとも最近の”悪者”には塩と油と糖分が山ほど入っていますから、ウマいに決まっているのですけどね(笑) どれも生き物が生きていくためには絶対に必要な大きな要素であることに間違いはありません。
ボクは子供の頃、牡蠣が嫌いでした。生牡蠣はもちろんカキフライも牡蠣鍋も食べられずに30年以上の人生を過ごしてきました。でも最初から食べられなかったわけではありません。幼稚園生の頃に牡蠣に牡蠣に中った事がトラウマになったに違いありません。いわゆるPTSDってヤツです。でもそれで心のケアを受けられたわけでもありません。昔は心のケアなどありませんでした。ただ牡蠣が食べられなくても生きていくのに差し支えはありません。他の人から「こんなに美味しいのになんで食べれないの?」なんていつも言われていましたが嫌いなものは嫌いなんです。食べられないものは食べられないのです。カラスの勝手でしょ。
もっともある時、出されるものすべてが美味しい宿屋でカキフライが出た事がありました。「うげー(/_;)」と思いましたが、「ここで会ったが百年目」だと覚悟して口にしてみたら、「美味いじゃん、これ!」。トラウマは一気に吹っ飛びました。カキフライはもともと美味しいものだったのです。単純なもんです。
どんな場面でも同じことですが、食べ物の好みなんて十人十色です。肉が美味くて魚が不味いと思っているのは個人の好みです。それが証拠に、昔は日本人が魚の刺身を食うと聞いて「野蛮人」と罵っていたガイジンたちもこぞって寿司を食べるようになりましたし(例外はいますが)、「生卵なんてヘビの食うもんだ」と言っていた欧米人も卵かけご飯を嬉々としておかわりしています。かつて日本の旅館で「ごぼう料理」を出された欧米人の旅行者は「日本に行ったら木の根っこを食べられそうになった」と日本の野蛮性を吹聴していましたが、今では「和食」は世界無形文化遺産です。
「肉は美味いに決まってる」「野菜はヘルシーに決まってる」というステレオタイプはマスメディアのバラエティ番組と大手広告代理店が考え出したマーケティング戦略に他なりません。巷では「ヘルシー」と「絶対美味いヤツ」を大手マスメディアとIntsagram、人気YouTuberが宣伝すればすぐに行列ができます。BS放送で流されるCMは「健康食品」と「懐かしのメロディ全集」ばかりです。ちょっとでもバエて行列ができれば中身がどうあれ「有名」になり「人気」が出るのです。もっとも中身が大したことなければブームはすぐに去って飽きられます。かつては猫も杓子も行きたがったリゾートのペンションブームやスキー、一昨年頃まで話題だったタピオカミルクティーはどこに行ってしまったんでしょうか?
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