自分で判断するな

日々是好日

思い出してみてほしい。学校を出て最初に就職した時には社員研修で真っ先に「ホウレンソウ」を教わった。そう、報告(ホウ)・連絡(レン)・相談(ソウ)だ。何かがあったら必ず上司や先輩に報告して指示を受けろと言われた。自分勝手な判断をするなと言われた。そしてその後は何十年もそれを金科玉条のようにサラリーマン生活を送ってきた。

いやサラリーマン生活だけだろうか。考えてみれば学校というものに通い始めた時からそう言われていたような気がする。日本人は子供の頃から「自分で勝手に判断するな!」と言われて大人になった。「それは先生に聞いたのか?」「それは先輩に相談したのか?」「それは課長の許可を取ったのか?」。何でも誰かに”ホウレンソウ”して指示通りに行動することが求められてきた。おそらく今までの人生のほとんどの時間をそうやって過ごしてきた。

だからボクたちは大人になっても何も自分で判断することができない。当然だ。判断する練習をしていないのだから。指示通りにこなすことは求められても自分で判断して行動することはなかった。自分で判断することは日本では”悪”であり決してやってはいけないことだった。

でもサラリーマンを辞めて小さいながらも自分がトップに立った途端にすべては自分で判断することを求められる。そしてもちろんその結果に責任を持つのも自分だ。誰も責任を取ってくれる人などいない。でもそれが”大人になる”ということなのではないかと思う。

誰かの影になって、誰かの後ろに隠れているだけでは自分の行き方を推し進めることは出来ない。誰かの後ろにいれば辛いこともない。誰かが盾になってくれるのだから。でも誰かの盾をアテにしているうちは楽な人生だが自分の思い通りの方角に進むことは許されない。自分は責任を負わないのだから。

それでもいいという人はそれでもいいと思う。誰もが自分勝手に舵を切りたい人ばかりではない。誰かに船の進む方向を任せて自分は海も見えない機関室で誰かの指示を待って一生罐焚きをしているのが性に合っていると思う人だっている。でもそんな人生が嫌なら自分が判断しなければならない時が必ずやってくる。

人生は絶え間ない判断と決断の連続だ。自分が船長になりたいのならもういい加減に自分で判断するしかないのだ。

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