終活を考えたことがありますか?

コミニュケーション

「人生100年」だとか「生涯現役」などと言われますが一方で就活ならぬ「終活」も盛んなようです。就活は”就職活動”の略ですがじゃあ終活は何なのか?終焉活動?Wilipediaを見ると「人生の終わりのための活動」と書いてありました。具体的にはどういうことをするのかというと要するに、自分が死んだ後に残された者が困らないようにしておく準備として、相続問題だったりお葬式に誰を呼んで欲しいとかお墓はどうするなんていう遺族が判断に迷うような事柄について自分の考えを表明したりするそうです。

もちろん死ぬまで元気でシャキシャキしていたのに”ピンピンコロリ”と逝けるとは限りませんから、仮に自分の意識がなくなってしまったとしても「できる限りを尽くして延命して欲しい」だったり「延命なんてしなくていいから自然に死なせて欲しい」と思う人もいるでしょう。そんな時に家族が判断の指針にできるようにここでも自分の考えを示しておくことなんかが推奨されています。

そのために遺書の書き方や「エンディングノート」なんていうものもたくさん売られていますが、実際に自分で書こうとしても「自分の死」という実感が身に迫っていない時にはあまり真剣に書く気にならないことも多いようです。その結果、いざという時ににエンディングノートが出てきても何も書かれていない白紙の状態でほとんど役に立たなかったなどという話もよく聞きます。

結局のところ理想を言えば自分が元気なうちに自分の考えを周囲に明確に示しておくことなのでしょうが、自分が元気なうちから死んだ後のことを考えられる人は少ないですし自分の考えも明確になっていないことが多く、ましてや死が迫ってきた時に急に考えが変わって「やっぱり死にとぉない」なんて言いださないとも限りませんから「延命措置はしなくていい」と断言するのも不安になるのでしょう。

自分がいつ死ぬのかが前もって分かっていれば段取りを組むのにとても楽なのですが、こればっかりは地震と一緒でいつ来るかを前もって知ることはできません。だからいつその時が来ても困らないように(死んでしまった自分が困ることはありませんが)その時点での自分なりの考えをもって表明することも大切なのではないかと思うのです。

ただそれは普段の自分の行動の中から自然と滲み出てくるものですしそれを分かってくれている人だっているかもしれません。だからこそ悔いのない最期を迎えるためにも自分を偽らずに生きていくことが大切になるのだと思います。ただ自分に素直に生きてみたら誰からも嫌われて総スカンを食うことがあるかもしれません。しかしそれは自分の本性は誰からも嫌われていたのだと自分を諌める手がかりになるのではないでしょうか。「それでもいい」という人にこれ以上話すことはありません。

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