答え一発、カシオミニ

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平方根を覚えているだろうか。√2(ルート2)などで表される数値でルート2なら1.41421356…となる。2乗して2になる数字だ。√5は2.2360679…と果てしなく続く数字だが概数を覚えるために「富士山麓オーム鳴く」などと語呂合わせで覚えたのではないだろうか。平成の「地下鉄サリン事件」などの一連の凶悪事件では山梨県の旧上九一色村(かみくいしきむら)にあったオウム真理教のアジトに強制捜査が入り、教祖だった麻原彰晃(あさはらしょうこう)が屋根裏部屋で見つかって逮捕された。週刊誌では「富士山麓オウム泣く」の見出しで報道された。

話が逸れた。ボクが小学生の頃、カシオから「カシオミニ」という電卓が発売された。ルートの計算が一発で出来るというのが売りだったが、その後現在に至るまでルートを求める計算が必要だったことは、学校のテストを除けば2~3回しかなかったように記憶している。学校でも平方根を筆算で求めるやり方を中学生か高校生の頃に習った覚えがある。しかしいつの間にかすっかり忘れてしまった。今の時代に大切なことは平方根を筆算で計算できることではなく、「平方根を求めるときは電卓を叩く」ということを知っていることだ。その方がよっぽど早いし、余った時間で他のことができる。それなのに未だに試験会場に電卓持ち込み禁止のくせに、小数点5位6位の計算を筆算で計算させる国家試験があるのは驚きを通り越して滑稽である。

ただ実際に計算することは電卓にやらせるとしても、どうやったら計算できるのかという理屈を知っているかどうかは大切なことだ。計算をやるかやらないかではなく、できるかできないかだ。社会が便利になるにつれて単純な作業だったり機械にもできる作業は人間がやらずに済むようになってきた。江戸時代まではどこに行くにも自分の足で歩いて行かなければならなかったが、明治維新以降は日本でも鉄道や自動車、飛行機で移動することが普通になったし、現代に火打石で火を起こしている人はほとんどいないだろう。井戸から水を汲むこともないし、星の位置で方角を知ろうとすることもない。便利な機械が発明されたからだ。

しかし便利であることにあまりにも依存してしまうと「なぜそれができるのか」すらわからなくなってしまう。先日テレビの料理番組で作っていた麻婆豆腐を見たゲストの若い女の子が「それが自分でできるって信じられない」と言っていた。中華料理店か買ってきたレトルトを食べるものだと思っていたという。じゃあ中華料理店では誰がどうやって作っていると思っていたのか、そっちの方がよっぽど信じられない。

石器時代から人間は、最初は何でも誰かが作ってきたのだ。誰かが発明し工夫して多くのものを作り出してきた。もちろん今では特殊な機械がなければ作れないものはある。しかしその機械だって最初は誰かが自分の手で作ったのだ。エジソンが最初に作った電球のフィラメントは京都の竹を細く削ったものだったらしい。

人間には素晴らしい知能と技術と工夫のできる精神がある。いつも何かを誰かを頼ることばかり考えていないで、「自分でやる」という気持ちを忘れないでいたいものだ。

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