歳をとれば身体のあちこちが痛くなったり小さな字が見えにくくなったりと不具合が出てくる。身体が痛いのはゆっくり動いたり小さな文字を読むには老眼鏡を使えばなんとかなるが、問題は後期高齢者になればおそらく誰にでもやってくるであろう”ボケ”だ。こればかりはメガネをかけたり補聴器をつけたりしても回避できない問題だと思っている。
できることなら最後の瞬間まで最低限は自分を認識できるくらいの意識を保っていたいものだが、如何せん自分の意思でどうかできるものではなさそうだから心配といえば心配ではある。あとはボケていくスピードを少しでも遅らせるくらいしか方策はないが、そのためにはどんなことに気をつけていくのが効果的なのだろう。
そんなことを思っていたら友人のブログに「運動」「コミュニケーション」「知的好奇心」が脳を活性化させて健康な状態を保ちやすくするという話が載っていた。(「ボケの予防に大切なこと ~ 知的好奇心が脳に効く!!」)
では知的好奇心ってなんだろう?
好奇心ならわかる。変わったものやまだ知らないものを知りたがる心の働きだ。では”知的”とは何を指すのだろう。辞書には「知性に富むようす」などと書かれているが、それでは知性とはなんなんだ。今度は知性を調べてみると「知的作用」とある。これでは堂々巡りだ。
何かを知りたがることだけなら芸能人のスキャンダルを知りたがることも好奇心の一つだろう。しかしそれは”知的”とはちょっと違うような気がする。スキャンダルなら事実(かどうかはわからないが)がわかってしまえばそれ以上に何かを追求しようという気持ちは薄れる。知ってしまえばそれまでだ。その先に多少の疑問が残ったとしても不思議が膨らんでいくことは少ない。
ボクが思うに知的好奇心とは、何かを不思議だと思って「どうして?」「なぜ?」の答えを探していくうちに、その先にある不思議が膨らんで「どうして?」が連鎖する状態なのではないかと思う。「ただ面白そうだから」「ただ笑えそうだから」知りたいのではなく、その先にある「なぜ?」「どうして?」を求めて知りたいと思うのが”知的好奇心”なのではないかと思っている。
ボクの友人に毎日、家の近くの河原を歩き回ってそこらへんに生えている”雑草”を観察している人がいる。写真を撮り、図鑑を調べて名もない植物の(本当はちゃんとした名前があるのです)名前を知り、その生態から名前の由来やどこらへんに生えているのか、どんな虫が集まってくるのか、なぜそんなところに生えているのかに妄想を広げて楽しんでいる人がいる。
この人はダイバーで、海の中でもそこら中で見かける珍しくもなんともない魚を徹底的に観察し、その生き様を調べては妄想するのが趣味だった。コロナ禍で自由に海の中を観察することが難しくなったら今度は家の前の原っぱで妄想を始めた。
きっとこの人は死ぬ瞬間まで妄想し続けることはあっても、ボケてしまうことはないのだろうと思っている。
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