用心棒

コミニュケーション

ドラマなどを見ていると冒頭のテーマ音楽が流れているとき、キャストなどに並んで監修者、時代考証、医療考証などの名前が出てくることがある。裁判関連や医療関連のドラマなどの中ではフィクションがあまりにもひどいウソにならないように監修者や考証者を立てて、医療界や法曹界からクレームがつかないように番組の用心棒にするわけだ。特に宗教関係などはナイーブな問題を孕んでいることも多いので、業界の大物の名前を出すことでクレーマーを黙られるという効果もあるらしい。

用心棒といえば聞こえはいいが要するに専門家の偉い先生を立てて責任をなすり付けるわけだ。これでテレビ局も制作会社も安心なのだ。残る問題はスポンサーくらいだろう。しかし実際には監修者の思った通りではない事実もたくさんある。例外は常に存在する。監修者だってすべてを知っているわけではない。それでもビッグネームなら小物たちがケチをつけるのは憚られるというわけだ。

スポンサー問題のことはボクもよくは知らない。時々見ているBS放送の旅行グルメ番組があるのだがその中では海外のコカ・コーラのロゴ・マークが入った冷蔵庫やセブンイレブンのお店の看板にボカシが入っている。レストランの店内風景の中にまでボカシが入っていると猛烈な違和感を感じる。しかもこの番組のスポンサーは健康食品やテレビショッピングだけで、コカ・コーラはもとよりその他の飲料メーカーやコンビニ各社は一切ないのだ。それどころか調べた限りではそういった企業の関連会社すらない。それでもボカシを入れることにはどういう意味があるのだろうといつも不思議に思っている。

民放では基本的に1つの番組を競合する別の会社が同時にスポンサードすることは極めてまれだ。ところがドラマを見ている視聴者からみれば街中の不断の光景の中に不自然にボカシを入れた場面が映れば自然と視線はそのボカシの部分に集中する。「あ、ボカシているのはコカ・コーラだな」とか「吉野家の看板だな」などといらぬ詮索を受ける。隠そうとする分逆に目立ってしまうわけだ。先日ここに書いたチラリズムとも共通した人間心理である。

トヨタ自動車がスポンサードするドラマでは日産車は使われないし日産自動車の工場にはお客さんであってもトヨタやダイハツの車は入れない(最近はそんなにうるさくなくなったらしいが)。以前、仕事で訪れたスズキ自動車本社の駐車場には「当社製以外の車は入れません」と看板に大書きしてあった。そんなのを見ると「心の狭い会社なんだな」と思ってしまう。自社の製品に自信と誇りがあるのならもっと堂々としていればいいのだ。そんなことで大きく売り上げが下がったりしないばかりかケツの穴の小さい会社だと思われてバカにされるだけだ。

日本人の心の中では大物や人格者であればあるほど細かいことなど気にせずに泰然自若としているものだという思い込みがある。せっかく大きな会社になっても些細なことで自ら評判を貶めようとするのはどういうわけなのだろうか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました