温故知新

コミニュケーション

私たちは生まれてから今に至るまでの間に様々なことを経験してきた。その中には実際に身を以て体験したこともあれば知識として蓄えられたものもある。いやそれを言うなら生まれる以前のことだっていくつかは歴史的事実として知識を持っていることだってある。幼稚園や小学校に通った経験、仕事に就いて様々な業務をやった経験、事故を起こして怪我をした経験、チャレンジが成功して嬉しかった経験、失敗して怒られた経験、数限りない経験を積み重ねて今の自分がある。

大災害だって経験の一つだ。ボクは生まれてからあの東北の大震災があるまでは大きな地震を経験したことがなかった。いやあの地震でさえ東京ではさほど大きな揺れではなく被害もほとんどなかったから”経験”と呼ぶにはおこがましい気もしている。それでも交通機関がすべて止まり、家までの数10キロを歩いて帰宅したことは経験といえば言えなくもない。その道すがら知った原子力発電所の全電源喪失とその後の原発事故はすべての日本国民にとってはニュースの上だけだったかもしれないが大きな経験になった。

過去(歴史)から学ぶこと、そしてその過去を教訓にすることは人類が古くから培ってきた知恵だ。いや人類に限らず多くの動物は嬉しかった経験も嫌だった経験も覚えていて、それに従って行動することは広く知られている。犬や猫だって餌やおやつをくれる人には懐くし、叩かれたり怒られたりした人のことは嫌いになる。これはある種の習性といってもいい。

しかし人類はその経験をどのように活かすのだろう。例えば、起きてしまった原発事故の経験を活かして「絶対に事故を起こさない原発にしよう」と思うのか「もう原発はやめてしまおう」と思うのか、選択肢はいくつもある。改善して「二度と起こさない」と思うのを”ポジティブ”ととるのか”無謀”と受け止めるのか、どちらの道を選ぶかはその人の価値観の問題である。どちらがいいのかは一概には判断できない。だからこそ人々は対立する意見を持った人たちと話し合ってモア・ベターな道を探さなければいけない。世の中はすべてを白か黒かで決められるほど単純ではない。

過去の経験や知識から学べることは数限りなくある。そこから何を導き出せるのかは活発な議論や話し合いによって、1人だけでは思いつくことのできなかったイノベーションを起こせるかどうかにかかっている。

人は1人1人それぞれに違った経験を積み重ね、違った知見を持っている。世界が不安定で揺らいでいる今こそ、勝ち負けだけではない”共調”を生み出せる時代なのではないかと思っている。

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