油断

コミニュケーション

油断とは読んで字のごとく「油を断つ」という意味らしい。いや本来の意味は断つというよりも”絶える”という意味のようだ。そもそもは比叡山延暦寺が発祥だという。比叡山延暦寺は平安時代に最澄が開いた天台宗のお寺だ。歴史の教科書には「織田信長が焼き討ちした」と書いてあってそればかりを覚えていたのでてっきり京都にあるものだとつい最近まで勘違いしていたが実は滋賀県にあるらしい。それに京都には叡山電鉄という鉄道も走っている。いや比叡山の山頂は京都だが延暦寺は滋賀だといった方が正しい。もっとも京都から山一つ越えれば琵琶湖だから似たようなものである。

延暦寺には最澄が開山してから今まで1200年間も絶やさず燃え続けている「不滅の法灯」があるという。僧侶が毎日油を継ぎ足して消えないように保っているというのだが油を注ぐための特別な係は決まっていないのだそうだ。油が少なくなっているのに気づいた人が注ぎ足すのだという。油がなくなって火が消えてしまわないように誰もが常に気にかけて心を配っていることこそが大切なのだという。気を配らずにボーっとしていれば油がなくなって火は消えてしまう。それが「油断」という言葉の語源になったのだという、と先日のブラタモリで言っていた。

常に心にとめて気を配るということは忍耐というより強い精神力が必要だ。昔から「継続は力なり」という。続けるということはそれだけで力を必要とする。日記だって始めることは誰にでも簡単にできるが続けることは多くの人にとって難しいことだ。いや別に難しいわけではないがどういうわけか続かない。

このところNHKでは「発達障害」についての理解を広げようという取り組みの一環として様々な番組の中で発達障害についての特集をやっている。発達障害と呼ばれる症状には主に3つがあってそれは「自閉スペクトラム障害(ASD)」、「注意欠如多動性障害(ADHD)」、「学習障害(LD)」などが知られている。学習障害にも読字障害や算数障害など様々な種類がある。他にも聴覚過敏や視覚過敏などがあるらしい。

今までの自分の人生を振り返ってみてもやたらと何かに集中しすぎて周りが見えなくなったり、飽きっぽくて長く続かず様々なことに興味を持ったり、いくら本を読んでもサッパリ頭の中に入ってこないということがなかったわけではない。学習障害とは恐らく、ここまでは”健常”でこれより先は”障害”などと簡単に割り切れるものではないような気がする。自分の中にも「なんでこんなことにこだわってしまうのか」と感じることはないだろうか。いや自分ではわからなくても他の人はそう思っているかもしれない。程度の差こそあれ誰もが発達障害なのではないだろうか。

これを「障害」と呼ぶときには生活の中で何らかの不都合が生じることによってである。勉強ができない、テストでいい点が取れない、落ち着きがなく失敗が多い、一つのことにこだわってそれができないとパニックを起こしたりするなど、他の人との普段の生活が円滑に行えない状態になったときに障害と認定される。だから環境によって不都合が起こっていなければ障害でも何でもない。

例えば朝は6時に起きてトイレに行って、顔を洗って、テレビを見ながら朝ご飯を食べて7時20分に家を出ることにこだわっている人にとって、ある朝突然にテレビが故障して映らなければ「いつもと違う」ことに違和感を感じる。炊飯器のタイマーをかけ忘れてご飯が炊けていなければパニックを起こすかもしれない。しかし心に若干の柔軟性があれば「しょうがないな」といつもと違う事態を受け入れることもできるわけだ。たぶん健常者と呼ばれる普通の人の多くはその程度の違いなのだ。

それを「習慣」と呼ぶのか「こだわり」と呼ぶのかの違いだ。人それぞれに趣味も違うだろう。鉄道に興味のない人には列車の型番や日本のどの路線を走っているのかなどということには興味がないからこだわりがない。クラッシック音楽が好きな人にとっては作曲者や演奏者、指揮者による微妙な違いさえも気になるが興味のない人にとっては曲名どころかその旋律さえ知らなかったりする。誰でも好き嫌いがあってそれなりにこだわりがあることはごく普通のことではないだろうか。

世間では「発達障害を理解してあげよう」などという雰囲気で語られやすいし、それは「発達障害ではない人は発達障害の人のわがままを我慢してください」という論調ともとれる。しかし健常者であれ発達障害者であれその境目は至極あいまいなもので、人それぞれに生活スタイルは違うし好き嫌いも様々だ。普段は誰もがそのことを尊重しながら暮らしている。「おまえ鉄道が好きだなんて頭がおかしいんじゃないか」などとはあまり言わない。

それなのに「発達障害」という烙印を押されることであっという間に色眼鏡で見るようになってしまう。人はそれぞれの個性で特異なことも違っている。絵がうまい人、字がうまい人、足が速い人、おしゃべりが面白い人。それぞれの個性の突出したところがその人の魅力でもある。「継続は力なり」という格言が残っているのは、多くに人にとって強いこだわりを持って続けていくということがいかに難しいのかを表している。

健常者と呼ばれる人は突出したところが少ないだけで強い個性がないから、周囲の人と強く関わることが少なくトラブルがないように見えるが、それが果たしていいことなのかどうかボクにはわからない。

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