かつて戦前の尋常小学校の教科書には日本陸軍兵のこんな話が載っていたという。
「死んでもラッパを口から離しませんでした」
旧日本陸軍のラッパ兵・木口小平(きぐち こへい)の武勇伝である。戦前生まれの両親に育てられたボクは子供の頃から意志が弱く、何をやっても中途半端で三日坊主だった。それを見た両親が子供の頃の古い教科書を持ち出してきてボクに説教するのが常だった。その時にいつも引き合いに出されたのがこの話である。「オマエもこの意志の強さを少しは見習ったらどうだ!」。だからボクはこの話が嫌いだ。いくら命令に忠実でも死んでしまえばそれでオシマイである。それにしてもそんな古い教科書をよくも取ってあったものである。戦前の人間の物への執着心は半端ではない。
原文では
キグチコヘイ ハ
テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ
となっている。当時の小学校の教科書なのですべて片仮名だ。
二等兵として日清戦争に従軍していた彼は、戦闘中に突撃ラッパを吹きながら進軍しているときに敵弾に倒れて戦死してしまうのだが、絶命した後もなおラッパを口から話すことがなかったという。それが日本軍の美談となって広まったらしい。それが小学校の修身(今でいう道徳のようなもの)の教科書に載ったというわけだ。いかにも精神論で生きてきた日本人に好まれそうな話である。
今ならさしずめ”シンデモ スマホヲ ハナシマセンデシタ”というところだろうか。いやこれは精神論というより執着心の話だ。電車の中でもレストランでも歩いていても車を運転していても多くの人はスマホから目を離さない。連れている自分の小さな子供は見失ってもスマホを眺め続ける。まったく褒められたことではないが洋の東西を問わず現代人はそれほどまでにスマホにご執心だ。昨年、道路交通法改正試案が発表されて一時は自動車や自転車の運転中のスマホが取り締まられた。しかしその試案の扱いがどうなったのかどこからも発表がないままになし崩しになっている。どうやら取り締まる側もスマホにご執心らしい。
スマホから片時も目を離さないのは”スマホへの忠誠心”ではなく、単なる心の弱さと何も考えずに世間に流されることに慣れ切った気質ゆえだ。誰かがやっていることが気になる、みんなと違っているかもしれないと気になる、世間に同調していたい…。言ってみれば”世間への忠誠心”なのかもしれない。「他の誰かと一緒は嫌だ!」と息まいている人も他の誰かと同じようにスマホに人生を縛られている。まぁいい、本人の勝手だ。
正露丸で有名な大正製薬のラッパのマークはこの木口小平のラッパだという人もいるが、確かなことはわからない。
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