長崎・広島の原爆の日を迎えた日本では毎年のことではあるが核兵器廃絶の議論が喧(かまびす)しい。日本は世界で唯一、戦争に核兵器が使われた国だ。スペインのゲルニカが世界で初めてドイツによって無差別爆撃を受けた都市であることと並んで、現代の戦争がいかに無慈悲で残酷な戦いになったかを象徴する出来事だと思う。
日本は国連の核兵器禁止条約を批准していない。世界で唯一の被爆国なのに核兵器の廃絶には反対している、と世界は思っている。国連には現在196の国が加盟している。話す言葉すら異なっていて、ただでさえ意思の疎通がしにくい国同士が阿吽(阿吽)の呼吸でお互いの考えを分かり合えることなどない。だからその国の代表が「Yes」と言えば賛成であり「No」と言えば反対しているということだ。少なくともそれが最近の政治家や官僚がよく口にする「グローバルスタンダード」だ。
世界の舞台では口に出して主張したことが全てだ。日本の代表者が「日米安保条約で…」「核の傘の下で守られている日本は…」などとグダグダ言い訳をしても「反対」と一言言えば誰がなんと言おうと「日本は反対なんだな」と世界中は理解する。「日本は平和憲法だなんだと言いながら結局は再軍備したし、隙あらばやっぱり核武装をしたいに違いない」と思うだろう。
事実、東アジアの国だけでも日本の再軍備や帝国主義の復活を恐れている国は多い。そんな日本が国連という国際機関で核兵器禁止条約に加盟しないということは「日本という国は核兵器に賛成している」と考えるのが世界標準であることは間違いない。少なくともほとんどの国はそう考える。反対なら条約に加盟するのが当然だからだ。
もちろん今の日本には日米安保条約があるし憲法でも侵略のための武力を持たないことが謳われている。しかし戦後、朝鮮戦争などをきっかけに「警察予備隊」は作られ、やがて警察予備隊は自衛隊になり「自衛隊は軍隊ではない」と政治家は言い訳をして事実上の再軍備を果たしてきた。
そうやって口先ばかりでコロコロと国の進む道を変えてきた日本を、日本と同じように、いやそれ以上に日本人によって残虐な仕打ちを受けたアジアの国々の人々が信じるだろうか。
確かに表向き、日本にはアメリカの核兵器があることで外部の侵略から守られている面は否定できない。「思いやり予算」などと言われるが、しかしアメリカ軍は親切や思いやりで日本に基地を作って防衛しているわけではない。元はソ連の、そして今は中国の太平洋進出からアメリカを守るために地理的に最前線にある日本を利用しているだけだ。アメリカ軍の前線基地なのだ。いざとなれば日本を見捨てて焦土にしても構わないから「アメリカを守れ!」と言うだろう。それが「America First!」だ。
「今は核の傘があるから反対できない」と言う日本政府の主張は破茶滅茶だ。「核兵器廃絶」と「核の傘」は別の話だ。「現実的に核の傘によって守られているかもしれないが、核兵器には反対だし廃絶するべきだ」となぜ言えないのだろう。
ピストルを持って周りを脅しているジャイアンの後ろに隠れて「ボクちゃん、平和主義だからピストルは持ってないもんね」と言っているスネ夫と一緒だ。「ジャイアン、のび太を殴ってくれよ」とけしかけながら影では(やっぱり暴力は必要だよね)と思っているわけだ。
日本は卑怯な政府や国会議員のせいでそんな姑息な国になってしまった。正義を主張することすらできない断固とした態度の取れない指導者ならいらないのだ。
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