源九郎判官義経。一之谷の戦いでの鵯越(ひよどりごえ)、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと連戦連勝で平氏を追い詰めて滅亡に追いやった伝説の武将である。その後、朝廷から勝手に官位を受けたことが原因で源頼朝の怒りを買って追討され、非業の死を遂げたと言われている。中には生き延びて大陸に渡りチンギス・ハーンになったという迷信まで生んだ男。まぁこの話は「イエス・キリストの墓は青森にある」レベルの話だが、牛若丸と弁慶、勧進帳などの物語にもなるくらいに日本人には人気の戦国武将だ。
頼朝の命を受けて平氏討伐に向かい、その戦さの才能で頭角を現し、見事に頼朝の期待に応えたはずの彼をなぜ頼朝は討伐したのか。世間ではいろいろと言われているが、先日のテレビ番組でもその中の有力説の一つについて解説していた。
一般に言われている”勝手に朝廷から官位を貰ったことが頼朝を怒らせた説”。単純に考えると「オレに黙って勝手に偉くなりやがって」という妬みにも思える。中学の歴史の時間にもそのように習った。その時に思ったのは「そんなことくらいで兄弟を殺すだろうか?」ということだ。もちろん現代とは社会も考え方も違うので何とも言えないが、そんなに単純な理由で頼朝が動いたとは思えなかった。
そこで説得力のある説として考えられるのが、貴族を頂点とした社会から武家社会への変革を図ろうとしていた頼朝の野望だ。武家を中心とした社会構造を作るためにはいつまでも貴族の言いなりになっていてはいけない。貴族から官位を貰って嬉々としているようではいくら待っても武家の世の中にはならない。それなのに義経はその意図が分からなかったばかりか、貴族から官位を貰うことは源氏にとっても名誉なことで、兄・頼朝も喜んでくれるはずだと思っていたというわけだ。
しかしそのことを頼朝が義経に言って聞かせた記録は残っていないという。平氏をゆっくりと攻め滅ぼす過程で、武功を上げた家来に占領した土地を分け与えるという恩功を施すことで、武家のヒエラルキーを築いて体制を固めようとしていた。ところがそんなこととは知らない義経は「とにかく勝つことが最優先!」とばかりに一気に攻め滅ぼしてしまい、源氏が朝廷の家来であることを表すように官位までもらってしまった。頼朝からしてみれば「何にもわかっていない若造が勝手なことをしやがって!せっかくの構想が滅茶滅茶になった」と怒っても不思議ではない。
頼朝はそのことを義経に話さなくても「そんなことはわかるはずだ」と思ったのだろうか。2人には12歳の年の差があったと言われている。しかも義経が30歳そこそこで討たれたことを考えれば20代後半の若者が40歳のオヤジの考えを慮ることができたのかということだ。しかも血気盛んな若者である。言って説明してもなかなか通じない年頃だ。それなのに頼朝は何も説明しないまま「平氏を討て」としか言わなかった。
それは若さゆえの過ちと言っては義経が可哀そうな気もする。義経は自分なりに精いっぱい戦って連戦連勝して平氏を滅ぼした。そのことが源氏の社会を作るための最善の方法だと思い込んでも仕方がなかったのではないかと思う。
以心伝心というが、現代でも実際に以心伝心することなどまずない。丁寧に言って聞かせてもその意図が相手にきちんと伝わることも少ない。言わなかったなら相手がわからなくてもアタリマエだ。なのに人は相手より上位に立つと「何でそんなこともわからないのか!」と怒ったりする。
年長の頼朝は義経のことを「何も考えていない”いくさバカ”」のように見ていた。特に若ければ深くに考えが及ばないのは仕方がない。自分の考えていることを周りの人が常に忖度してくれるわけではない。ちゃんと最初に説明しなければわからないことはたくさんある。すべての部下が自分と同じことを考えているわけではないことを知っておくべきだろう。
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