年寄りの冷や水

日々是好日

多くの場合、歳をとってくると男も女も、自分ができもしないことや最早できなくなってしまったことに気づかず、いきがって無理してやろうとして失敗したり痛い目に遭ったりすることが増えるものです。それでも自分が”昔のようにはできなくなった”ことを意地になって認めようとしないで、「やらないと罪悪感を感じる」などと言って止めようとせずに往々にして事態を悪化させてしまうことがあります。

「年寄りの冷や水」とは、年寄りが若いものの真似をして冷えた水を飲んでお腹を壊すことから、年寄りが歳もわきまえずに若い者の真似をするとロクなことがないという意味で、江戸いろはがるたの「と」の読み札にもなっています。

人は歳を重ねると、昨日できたことが今日もできるとは限りませんし、今日できたから明日もできるという保証もありません。人間も若い成長期には体力も知力もだんだんと進歩するものですが、年老いた老衰期の身体や脳は日に日に後退していくものです。

身体の衰えは人によって差がありますが、誰でも概ね20〜30歳をピークに下降線を辿っていくようです。一流のアスリートでも、自らのピーク時のパフォーマンスと比べれば中年になれば衰えが見え始めます。野球選手のイチローや体操選手の内村航平にしても、平凡な人と比べれば想像できないくらいの能力を維持しているとしても、最盛期から見れば衰えてきているのでしょう。そして彼らが過去に高いパフォーマンスをもっていたからこそ自身の衰えに敏感になっているはずです。

「まだまだ若いモンには負けん!」などとイキがっていてもそれは所詮強がりにすぎず、冷静に比べれば手も足も出なくなっているものです。そしてそれは30代や40代の頃から始まっているものです。しかしそれに気づかない日本人のなんと多いことでしょうか。身の回りにもそんなオジサン、オバサンがたくさんいるのではないですか?

例えば車の運転一つとっても、ハンドル捌きや車両感覚、安全確認やブレーキを踏むタイミングにしても自分が若かった頃に比べれば鈍くなっています。それでも「まだまだ俺は…」とイキがっている中高年は、自分がすでに衰えていることに気づいてすらいないのです。ボク自身、雨の日や夜間には若い頃のように周囲がよく見えなくなっているので、そんな条件の日にはできるだけ運転しないようにしていますし、以前は意識しなくてもできていた”車線の中央を走る”ことにも神経を使うようになりました。だからあと10年ほどの間には自動運転の技術が発達して、公共交通もより省力化されて自分で運転する必要がない世の中が訪れてくれることを願っているのです。

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