「限界集落」という言葉がある。過疎化などで住人の半数以上が65歳以上の高齢者になり、道路の管理などのインフラの維持などが保てなくなったり、集落内に子供がいなくなって数十年後には消滅してしまう可能性のある集落のことだそうだ。確かに山村や離島などで住民が高齢者だけになってしまえば、新しく若い夫婦が移住してこない限り消滅してしまうのは時間の問題だ。しかしこれは山村や離島などの過疎地だけの問題ではない。昭和の高度成長期に東京都内や近郊に一気に整備されたニュータウンでも高齢化が進み、空き家率も軒並み上昇しているという。都会の限界集落である。
かつては三世代が同居する家庭は普通だったが、昭和30年代から40年代にかけて核家族化が進んだ結果、次第に高齢者夫婦や高齢単身世帯が増えていった。都会の狭小住宅事情では3世代の家庭の生活に耐えられる家は少なく、今の子育て世代も10年20年経てばやがて子供が家を離れて同じような状況が繰り返されることになる。すると自分たちの子供が家庭を持った時にもワンオペ子育てや待機児童の問題は残るだろう。今後も日本では少子化傾向が続くだろうから次第に解決するなどと能天気なことをいう人もいるが、子供が少なくなるということはとりもなおさず保育園や介護施設でのサービスを提供する人も減っていくということなのだ。
昭和の頃までの日本では家におじいちゃんおばあちゃんが同居している家が多かった。いや逆だ。自分の家庭を持っても実家に同居する夫婦が多かった。例えるなら『サザエさん』の家だ。だから夫婦の共働き家庭でもいざというときには家にいるおじいちゃんおばあちゃんが大きな戦力になった。実際にボクの家も親は共働きだったが、幼稚園から帰った後は、叔父叔母が店をやっていた従弟と一緒におばあちゃんに面倒を見られていた。もっともその頃は子供が大人と遊ぶということなどなかったので、子供が悪いことをしないように時々見張っているお目付け役のようなものだった。それでも子育て家庭にとっては心強かっただろうと想像する。ボクとその従弟は多くの時間をおばあちゃんに育てられた。
今更どうしようもないことだし当時の社会情勢や環境変化でどうしようもなかったことではあるが、あの頃から始まった”核家族化”が今の日本の大きな問題を生み出したような気がしている。待機児童の問題、少子高齢化、老人介護問題、安い賃金による若者の生活破綻、結婚率の低下、孤独死などなど、もちろんあの頃からなかったわけではないし、大家族になることですべてが解決することでないことはもちろんだが、あの時に掛け違えたボタンのツケが、今の社会にとって耐えられないほどに大きくなっているような気がしてならない。
町おこしや村おこしなどによる若者の移住促進対策もあちこちの行政が取り組んでいるようだ。中にはある程度の花が開いて実を結んでいる地域もあるという。そこには地域に昔から暮らしている住人たちとのコミニュケーションも必要不可欠だ。しかし親族や家族内でのコミニュケーションは苦手でも、まったく知らない土地で全く知らなかった人たちとなら上手くやっていけることもある。ここまで来てしまった社会を立て直すために力を尽くしている人たちの努力には頭が下がる。
核家族化がすべて悪かったとは言わない。どこかの代議士が大声で言っているような”家制度の崩壊”などという前時代的な話をしているわけでもない。家族や家庭の暮らし方の話だ。40年ほど前には二世帯住宅が流行った時期もあった。それは不動産バブルで土地の値段が上がり、新しい土地を買えなくなったための苦肉のアイデアだった。しかしバブルが終わって地価が下がると二世帯住宅は下火になり、若い夫婦は家を出て別の便利な場所に新築住宅を作るようになった。
「誰が面倒を見るのよ!」「仕事だって言ってばかりで家のことは何もしないじゃない!」「私だって働いてるのよ!」という女性の不満ももっともだ。何だかんだと言っても、いまだに男にとって家事や子育ては”手伝うもの”という領域を出ていない。”手伝う”というのは「本当は自分の仕事じゃないけど仕方ないから手を貸してやる」ということだ。今や男一人の稼ぎでは家庭を維持していくことは難しい。政府はしきりに”女性の活躍”を叫ぶが、全国的に見れば男の意識は昔とさほど変わってはいないにもかかわらず家計に占める女性の比率は高くなっている。そんな今こそ共同体の最小単位である家庭の形を本気で考え直す時期に来ているのではないだろうか。
先祖代々、守ってきた土地や誰も住まなくなってしまった集落を、ご先祖様に申し訳ないからと、誰も住まなくなった家を手入れし、作物を作らなくなった畑を耕し、誰も通らない道の草刈りをする人がいる。その人が守っている土地はこの先どうするのだろうと思うが、そんなことは本人の勝手だ。他人がとやかく言うことではない。しかし傍から見ればノスタルジー以外の何ものでもないように見える。
歳をとって残りの人生が短くなると、人は過去にすがって生きるようになるのだろうか。
今が大切なのか?未来が大切なのか?それとも過去が大切なのか?
確かにだんだんと昔のことを思い出すことが多くなってきたような気がする。
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