優柔不断は不安と疑念の賜物

コミニュケーション

レストランなどに行ってオーダーをするときに穴があくほどメニューを見ながらあちこちのページを開いては「何を食べようかなぁ〜」「こっちもいいなぁ、でもあれも食べたいしぃ〜」などと際限なく悩み続ける人がたまにいる。「だって決めらんないんだモン」などと可愛い子ぶって言っているが、待っている他の人にしてみたら迷惑千万な話だ。

メニューを決められないのは一つの例だがどんな場面でも優柔不断な人はいる。優柔不断とは、「ぐずぐずしていてものごとをきっぱりと決めることができない様子」だ。ぐずぐずしているから周りの人はイライラするがそんな人に限って他人が迷惑していることなど気にもしない。

「もし不味かったらどうしよう」「もし嫌いなものが入ってたらどうしよう」という疑念や後になって「他のメニューにしておけばよかった」と後悔しないだろうかという不安が極端に大きいとそういう心理状態になるのだろう。ボクは大抵メニューを開く前から前もって「自分は今、何を食べたいのか」をある程度考えておくタチなので注文は一瞬で決定することが多い。

しかし何を頼もうがそんなことで自分の人生が大きく左右されることはない。しかし自分の優柔不断な態度が、その人のその後の人間関係に与える影響は大きい。「あの人って優柔不断だよね」「もう嫌になっちゃう」「あの人とはもう食事に行きたくない」などと思われてしまえば自分の人生にとっていい影響は与えないと思う。

そもそも、いくら考えても解決はしないことをウジウジと悩み続けるのは自分にとっても他人にとっても時間の無駄だ。どちらがいいかを決めるための要素はすでに出尽くしていて、両方の長所も短所もわかっているのだ。それでも決められないというなら、ただ単に決断力がないだけだ。

自分の嫌いなものが入っているかどうかは店員に聞けばわかるのだからさっさと聞いてみればいい。それも決断するための要素にはなるだろう。わかったならすぐに決断して「これでいいのだ!」と自分の決断を強く肯定するしか道はないのだ。それでもまだウジウジと悩み続けるならあなたは人生の中の多くの時間をつまらないことに浪費してしまうだろう。

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