余韻を楽しむ

日々是好日

日本人に特有の文化といえば「余韻を楽しむ」ということがあるような気がする。日本人は何か一つの区切りが終わった時に、それまで続いてまたは続けてきたことを振り返って思いに浸るようなところがある。何かが終わったら次の瞬間には別のことにいきなり頭を切り替えて始めるということを元来あまりしてこなかったように思う。例えば何かが一段落した時には「打ち上げパーティー」のようなものをやって仲間や共に戦ってきた友人たちと喜びや苦労を分かち合うような行事もしばしば行われる。

それは身の回りの細々としたところにも現れる。例えば電話を切るとき、つい相手が受話器を置くのを確認しようと自分が先に電話を切ることをためらうことはないだろうか。もちろんビジネスシーンなら「(自分が先に切るのは)相手に失礼だから」という理由もあるかもしれないし実際に新入社員教育でそのように指導しているところも多い。しかしそれ以上に今まで話をしていた相手と電話であるにしろ「別れを惜しんで余韻を楽しむ」という気持ちはないだろうか。

映画館で映画を観終わったとき、エンドマークが出た途端に席を立って帰る人がいる。もちろんそのあとに物語があるわけではないし淡々とスタッフの名前が活字になって流れていくのを見たところでその映画への想いが深まるわけではないだろう。それでもボクは映画館に行くと最後まで席を立てないでいる。物語のロケ地や使われた小物などについて興味があるからということもあるが、それ以上に2時間ほどの物語の最後の余韻を楽しみたいという気持ちが大きいのだ。

効率性や生産性だけを重んじてしまえば、言ってみればなかなか電話を切らなかったり映画のエンドロールに時間を費やすのは一種のムダかもしれない。でもそれ以上に徐々に物事の最後を締めくくる気持ちを高めていくのは日本人の感性の豊かさでもあるような気がしている。だからといってエンドマークとともに席を立つ人の感性が貧しいと思っているわけではない。思っているわけではないが、そんなにセカセカと生き急いでいては路傍に咲く一輪の花を愛でる気持ちも忘れてしまうのではないかと少し寂しい気持ちになるのだ。

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