アメリカで白人警官が黒人を取り押さえて死亡させた事件を発端に全米をはじめ世界各国で大規模な抗議活動に発展している。もともと黒人をアフリカから連れてきて奴隷として働かせてきた国だからその成り立ちからして人種差別の国だし、今に始まった事ではないがこうなったのも当然の結果だと思っている。だからといってアメリカの人種差別を肯定するものではまったくない。
ボクは日本で生まれて周囲には黒人奴隷もいなかったし、奴隷を使うという風習もない国なので(戦後になって”社畜”と呼ばれる企業奴隷は増えたが)そもそも人種差別という概念がない。鎌倉時代には穢多非人(エタ・ヒニン)と呼ばれる被差別民がいたが今では辞書にも載っていない。”穢多(エタ)”は汚れが多い(仕事・人)のことを指し、非人(ヒニン)は”人(ヒト)”の社会から外れた生き物という意味もあったらしいが、今ここでその話題を蒸し返すことはやめておく。
古都鎌倉の切り通しの周辺がそういった人たちの住む場所だったといわれるが、明治維新以降にはそういった身分制度は撤廃されて今ではその面影すらない。ボクが子供の頃に住んでいたのはいわゆる”新興住宅地”で、古くからその土地に住んでいた人との交流は疎遠だった。もちろん学校では何代も前から住んでいるという友達も多かったが、小中学生の間では差別問題などまったくなかった。
大人の世界から漏れ伝わってくる”部落問題”などが話題になったことはあったが、自分たちのコミュニティとは別の前世紀の歴史としてしか認識しなかった。「あそこは昔、部落だった」と噂する大人もいたが、子供にとっては”部落”の意味することもわからないし正直言って今でも実感することはない。かつてはそれが結婚や縁結びにも大きく関わったといわれるが、当時から「オレたちはオレたちの時代を生きてるんだからカンケーねー」というのが当時の子供の世界の共通認識だった。
ただそこに割り込んで子供の世界に差別社会を植え付けようという大人が存在したというのも確かだ。「〇〇の子とは遊んじゃダメ」とか「△△の子はタチが悪くて躾がなってない」などと根拠のないことを子供の心に押し付けて摺り込もうとする。ボクらにとってはそれ(差別)が何の役に立つのかもわからなかったし、友達はどこに住んでいようが友達だったから、そんな大人の声に耳を貸す子供はいなかった。そういう意味ではあの当時の先生たちの教育は素晴らしかったと思う。
これがボクの育った地域に特有の風土だったのか日本中がそうだったのかはわからない。それでも大人になって社会に出ても現実にそのような差別を見たことはほとんどない。これこそが今の日本人が世界に誇れることではないかと思う。もちろん日本の工業や科学・農業の技術は素晴らしいと思う。しかしそれも人種差別のない日本人の心があってこそのものだと思うのだ。
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