ある時なぜだか急に特定のものを食べたいという欲望に襲われる。普通にお腹は空いているがとりわけ飢えているわけでもない。それは好きなものではあるが好きで好きで仕方がないものでもない。それはカレーのこともあればウナギのこともある。とんかつが食べたいと思うこともあれば海鮮丼のこともあって何の脈略もない。時にはお茶漬けのこともあるからとりわけ高価なものや高級なものだけというわけでもない。それでも急に食べたくなるとそれこそ火がついたように食べたくなるのだ。
ある日、急に醤油ラーメンが食べたくなって近所のお気に入りのラーメン屋に行ってみる。こういう時の欲求はかなり細かい分野にまで侵入する。味噌ラーメンでも家系醤油とんこつラーメンでもなくいつもの行きつけのラーメン屋の「醤油ラーメン」でなければダメなのだ。しかしお店を訪ねてみるとあいにく定休日だった。だからといってせっかくわざわざ出かけてきたのに、これから家に帰って昼食を作るのも面倒だ。仕方なく他の店を探してみようと思う。ところがいったん”あの”醤油ラーメンの舌になってしまった体には他の何ものも受け入れられなくなってしまっている。結局は納得できる何ものも見つからずに家に帰ってインスタントの醤油ラーメンなぞ食べてお茶を濁すのである。
自分が急に思いついて、ひとたび食べる気になったり買う気になってしまった気持ちはそう簡単には忘れられない。それこそ火がついたように”それ”が食べたくなって他のものでは我慢できなくなる。それは食べ物だけに限らず本にも同じようなところがある。どこかで本の紹介や批評を見かけて「読んでみたい」と思ってしまったら火がついたようにすぐにでも手に入れて読みくなるのだ。それは子供の時分からあまり変わっていないような気がする。
あの頃は急いで近所の本屋まで歩いて行ってお目当ての本を探してみたものだが大抵は見つからなかった。店員さんに聞いても取り寄せになるという。今から注文すれば1週間で届くというものの「そんなに待てるものか!」などと思ったりして、仕方なく電車に乗って横浜の本屋まで探しに行ったりしたものだった。「だから田舎は嫌なんだよ」などと悪態をついて自分の環境を恨んだりした。
ところが今ではAmazonで検索して「ポチッ」とすれば大抵の本が翌日には手元に届くような世の中になった。だから最近は知らない本を探して本屋巡りすることも少なくなった。本当にいいところに目をつけたものだと思う。
さらに幸いなことに最近は電子書籍が普及してきて宅配便の配送を待つこともなく、ネットで買ってダウンロードすれば数分で読み始められるようになった。しかし労ぜずして手に入れたものにはあまり有難みを感じない。仮に自分の人生で何かがうまくいくことがあったとしても、それが単なる偶然の産物だったり誰かの力によるものが多くなウエイトを占めているのだとしたら、それはもちろん嬉しいことではあるが自分が何かを成し遂げたという達成感は得られないような気がする。
そのせいかどうかはわからないが、電子書籍で読んだ本は頭に残りにくいような気がしている。それは実物の本は単に自室の本棚に並べて何度となく本のタイトルを見ているから思い出す機会が多いという理由なのかもしれないが、実際のところはよくわからない。そしてどちらがいいとか好きだとか言うつもりもない。その時の事情によって選べばいいだけのことだと思っている。
でもいつの世になっても”電子ラーメン”に満足する日は来ないような気がしている。
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