プログラミング教育

テクノロジー

プログラミングとは、前もって設計され決められた動きを予定通りに動かす予定表だ。TVプログラムは番組だし運動会や演奏会にもプログラムはある。しかし最近になって教育関係で話題になっているプログラミング学習とはコンピュータ用語のプログラムを指すようだ。ご存知の方も多いと思うがコンピューターは事前に設計されて作られたプログラムによって動いている。それは普段使っているOfficeやWebブラウザ、メールソフトや財務会計ソフトなどでお馴染みだ。インターネット上のホームページも世界中のどこかにあるサーバーコンピューターの中で動いているプログラムによって表示されている。

ボクがコンピュータのプログラミングに最初に触れたのは中学生の時だった。当時はまだ大型のホストコンピューターが主流で普通の人が気軽にコンピューターに接する機会はなかった。もちろんパソコンなどはなく、むき出しのプリント基板に16進数のキーボードと8桁のLEDディスプレイの付いた電卓に毛の生えたような学習用マイコンキットが売られていたくらいで、実用的なものではなかった。プログラムも16進数で書いて入力しなければならなかったのだが、フロッピーディスクやSDカードのようなメモリもなく、苦労してプログラムをしても電源を切ってしまえば全部消えてしまうような代物だった。

”マイコン”というのは超小型のマイクロコンピュータの略ではない。今では冷蔵庫や掃除機、AV家電はもちろんのこと炊飯器にまでマイコンが使われる時代だがこの頃にはそんなものはなく”マイコン”といえばマイ・コンピュータの略だった。それも知っている人などほんの一握りのニッチな世界だった。コンピュータを個人で所有するなど考えられなかった時代である。そのキットが当時の価格で16万円で売り出されていた。1か月のお小遣いが1,000円だった頃の話である。とても中学生に手の出せるものではなかった。

ボクは一計を案じて東京・秋葉原の”マイコンショップ”を行脚した。そしてそこに展示されていたデモンストレーション用のマイコンを朝から夕方までいじり倒した。そのマイコンで最初に動かしたプログラムは”電卓”のプログラムだった。もちろんその頃には電卓は身近なものになっていたが、簡単に計算結果が出せる電卓でさえもそのプログラミングには何日もかかった。夕方になって店が閉まってしまえばマイコンも電源を切られて、朝から入力してきたプログラムはすべて消えてしまう。だから次の日にはまた朝からノートに書いてきたプログラムを最初から打ち込まなければならなかった。気の遠くなるような作業だったがあの頃ボクはまだ若かった。

それが高校生の頃にはメーカーから汎用のマイコンが売り出された。「パソコン」と呼ばれた。パーソナルコンピューターの略だ。ボクの通っていた高校の職員室にも1台のパソコンが置かれるようになったが、職員室でパソコンなど使える先生は一人もいなかったので、放課後はボクらが新たに作った部活動の一環と称して好き勝手に使わせてもらえたのだった。売り出されたパソコンは100万円近かったのだから高校生に手の出せるものではない。ギブソンやフェンダーのギターだって30~50万もあれば買えた時代だ。

大学を出て就職した会社でボクは奇しくも大型汎用コンピューターのシステム運用と開発をすることになった。学生時代にパソコンを弄っていたことと、他にコンピューターなど触ろうとする人がいなかったためかもしれない。職場ではコンピューターは何をしているかわからない”怖いもの”だと思われていた。だからボクを生贄にしたわけだ。

やがて時代は変わってコンピューターは時代の寵児になった。英語が話せないとエリート社員になれないようにコンピューターが使えないと会社で出世できないようになった。しかしそれでもコンピューターは訳のわからない怖いものだと思われ、システムの運用開発部員は身分の低い猛獣使いのような仕事をさせられていた。給料は安く仕事は激務でブラックな職場だ。それがどうしたことか今度は小学校でプログラミングの授業を始めるらしい。猛獣使いを増やそうというたくらみだろうか。

今後導入されるプログラミング教育では、コンピューターに命令することの意味や実行させるためのプログラムの役割などの理屈を学ぶらしい。自分がコンピューターにやらせたい仕事と、それをやらせるためには何をすればいいのかのアクションを学ぶのだという。そりゃそうだろう、いきなり実際のプログラミングなど勉強してもほとんどの人には必要のないことなのだから。猛獣を扱うのは猛獣使いの仕事だ。しかし猛獣使いをうまく使いこなせなければエリートにはなれないらしい。

そんな授業が何の役に立つのかはわからないが役に立つと考えた人がいたのだろう。はたして今までにコンピューターやプログラミングの実践に関わったことのあるパパやママがどれくらいいるのだろう。もはやコンピューターは筆記用具やノートのような使うための実用品だ。プログラミングとは?などと考えなくてもスマホは十分に使える。猛獣使いたちがそのように調教してきたのだ。

それでも「プログラミング」などという言葉をカリキュラムに組み込もうとするのは、パパやママたちに人気の出そうなプログラミングという言葉だけを独り歩きさせて教育というものをあらぬ方向に向かわせるための悪質なプログラム(予定表)ではないかと勘繰ってしまうのだ。

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