小学校の卒業式を間近に控えた45年ほど前の早春、ボクの通っていた公立の小学校は学区内の公立中学校に進学すれば他の小学校からの子供も合流するものの小学校の卒業生は9割方そのまま進学する仕組みでした。全校生徒が1,500人を超えるようなマンモス校でしたが、小学校の6年間を同じ学校で過ごしていればクラスは違えど同学年の生徒の顔と名前は大体知っていたものです。
ボクは3〜4年の時にクラスの担任だった楠(くすのき)先生の強い勧めで半強制的に合唱団に所属していました。それは毎日7:30からの朝練に始まりホームルームの歌、各時間の授業の始まりの歌、終わりの歌、1日の終わりの歌、夕方の練習と1日が合唱を中心に廻っていたようなものです。その上、楠先生は毎日山のような宿題を出すのでかなり苦労したような覚えがあります。
合唱団には”専属の”ピアニストがいて一人は同級生、もう一人は隣のクラスの女の子でした。大人になってから聞いた話では放課後に自宅までやってきて半ば強引に専属にさせられたという話でした。そして5年生になるとクラス替えがあって合唱団の活動はやや緩やかになったものの、同級生だった専属のピアニストは別のクラスになり、隣のクラスの女の子が同級生になりました。とはいっても小学生の男女ことですからお互いに敵対関係にあってほとんど話もしなかったくらいです。
やがて6年生になり小学校の卒業式が迫ってきます。同級生のほとんどは4月からも同じ中学校に通うのですから一部の”お受験”するおぼっちゃまたちを除けば”お別れ”という感情はありませんでした。専属のピアニスト2人も御多分に洩れず同じ中学です。それでもやはり卒業アルバムやら卒業文集といったしきたりがあって、卒業式が近づくとそれらの準備で子供ながらにちょっと忙しくなったりしたものです。
卒業作文を書いていた時、クラスの中でたまたま隣の席に座っていた元専属ピアニストが、「とりすくんは将来何になるの?」と話しかけてきました。同級生の中には「総理大臣」と豪語していた子もいましたがボクはまだ将来のことなど何も考えていなかったので「小説家にでもなるかな?」などと答えていたのですが、その子の答えは「私はシンガーソングライターになりたいの」でした。今でこそシンガーソングライターは知名度がありますが当時はまだ音楽関係といえば西城秀樹や山口百恵などのアイドル歌手くらいしか思いつかなかったものです。そこへいきなり「シンガーソングライター」です。ボクは「へっ?なにそれ?」ってなものでした。女の子はオマセだねぇ、ススんでるねぇ。
荒井由美やグレープ、かぐや姫やオフコースの名前が次々と飛び出してくる中、ボクに頭の中は「???」のオンパレードです。へぇ〜、歌手の中にもそんな人たちがいるんだということを彼女に初めて教えてもらったのでした。やがて中学生になったボクは女の子にモテたいばっかりにフォークギターを掻き鳴らしてフォークグループの歌を歌ってりしていたのですから面白いものです。もっともその頃”エレキ”は不良のやることという常識があって「KISS」などに向かって一歩踏み出す勇気のなかったボクなのでした。それでも高校生になるとエレキを手に「外タレ(外国タレント)」のモノマネをしたのですからちょっとはススんでいたのでしょうか?
いずれにしても最初の衝撃は「シンガーソングライター」という外国語からボクの世界は広がったわけで、今となっては隔世の感がありますが懐かしく思い出されるのでした。これも老いたということなのかな? そしてあの時「総理大臣になる!」と話していた彼が、その後勤めた会社で同僚になっていたことは内緒です。
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