インスタント

文化

少し前にNHKの朝ドラでチキンラーメンやカップヌードルを開発した日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)の生涯を辿った物語をやっていた。それによれば安藤さんは幼い頃、戦争でひもじい思いをした経験から「お腹がいっぱいであることは幸せなことだ」という信念のもと、誰もが手軽にお腹を満たすことのできる美味しいラーメンを作ろうと開発を始めたのだという。

その後、昭和40年代には各メーカーから「サッポロ一番」や「チャルメラ」など数々のインスタントラーメンが発売されて百花繚乱の様相を呈した。昭和46年に同社がカップヌードルを発売してからは他社もこぞってカップ麺を開発し現在に至っている。他にもレトルト食品や♪玄関開けたら2分でご飯♪で売り出した「サトウのごはん」のような即席食品が今ではスーパーなどの主力商品の一つになっている。

普段の生活の中でボクはインスタント食品を使うことは少ない。なぜならインスタントは基本的に最初から味や量が決まっており自分好みにすることが難しかったりするからだ。だから麻婆豆腐や青椒肉絲(チンジャオロースー)などの中華料理やスパゲティのミートソースなども自分好みの調合で味付けをする。もっともカレーライスは市販のルーを使うことが多いが、これは市販品の味が割と好みなのでそれはそれで気に入っている。

インスタントというと”味はイマイチ”だったりするイメージがあったりするのだが、そもそもインスタントと材料を揃えて1から作った料理とを比べるというのはいかがなものなんだろうか。例えばラーメン。有名ラーメン店が監修したというカップラーメンがコンビニ等で販売されているが、その店に出向いて目の前で作ってもらったものとは全くの別物である。お店のラーメンはラーメンだしカップ麺はやっぱりカップ麺だ。決してどちらが美味しくてどちらが不味いというものではない。別の食べ物だ。

だからといってそのカップ麺と食べて「これは本物じゃない!」と言う人は少ないだろう。それはあくまで”カップ麺”だということが分かっているからで、最初からお店で食べるラーメンとカップ麺は全く別の食べ物と捉えているわけだ。

同じようにインスタントコーヒーもインスタントカメラにも言えることだ。「コーヒー飲む?インスタントだけど」だったり「ポラロイド写真でも構いません」などのように用途や目的によってインスタントを使うことで簡便に済ますことが可能になるのはありがたい。カフェで雰囲気と香りを楽しみながら飲むコーヒーと職場のデスクで飲むインスタントコーヒーを比べる必要はない。職場のデスクでサイフォンを使ってコーヒーを淹れたりすれば周囲から白い目で見られるだろう。

シチュエーションと目的に応じて違うものを飲み違うものを食べているだけなのにすぐに「どっちが優れているか?」を決めようとするニッポン人の心のなんと貧しいことかと情けなくなるのであるよ。

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