ど忘れ

コミニュケーション

ふとしたことがどうしても思い出せなかったりする。頭の中には詳細なイメージまで描けているのに名前や名称だけがどうしても思い出せない。それが子供の頃ならいつまでも思い出せずに何日間もモヤモヤしたものだが、今ではインターネットの検索画面に関連した言葉や似たような画像を入力すれば大抵のことは数分でカタがつくようになった。便利だし精神衛生にもいい。特に老化が始まって鈍くなった脳味噌にはありがたい世の中になったものである。それでもストレス社会だと言われるのはどうしてなのだろうか。

ことわざ辞典があっても”諺の意味を調べる”役にはたっても、こんな状況にふさわしい諺があったよなぁという状況ではあまり役に立たない。辞書を全部暗記しているならいざ知らず、ことわざの意味を調べられてもその逆はなかなか難しい。そもそも辞書を全部暗記するということは、もはや辞書としてのの存在意義に関わることだろう。

かつて海外にスキューバダイビングに出かける際に、魚類の図鑑を持っていくかどうかで悩んだことがある。図鑑というものは得てして大型で分厚く重たいのが通例だ。今のように図鑑をスキャンしてタブレットの中に収めることなどできなかった時代だ。ただでさえ潜水や水中撮影のための機材だけでも相当な重量になるのに、それに加えて図鑑を何冊も持って行くとなるとかなりの覚悟が必要だ。飛行機の預入荷物の追加料金がかかるかもしれない。

そんな時、知り合いに分厚い魚の図鑑を一冊丸々覚えている人がいた。魚の名前を言うと「○ページの右上あたりに幼魚の写真が載っていたはず」などと返事が返ってくる。何を訊いても魚の種類のことなら大抵のことは即答だった。その人は現地にその分厚い図鑑を持ってきていたのだが「帰るまで貸してあげますよ」と言って図鑑を差し出した。「それじゃ山田さん(仮名)が使えないでしょ?」と言ったら「全部覚えてますから」と答えた。この人は何のために図鑑を持ってきたのだろうか? 困っている人に貸すため? あまりにもいい人すぎる。

魚の名前なら生活に支障はないがこれが人名となると厄介な問題になることがある。よく知っている人なのになぜか咄嗟に名前が出てこない。普段からあまり付き合いのない人ならいざ知らず親しい間柄になるとちとバツが悪い。ボクの場合、昔のパソコン通信の時代からの友人が多いのだが普段は直接会って話す時でもオンライン上の”ハンドルネーム”というあだ名で呼び合うことが多い。そうすると本名がわからくなってしまうのだ。というより本名を知らない人もいっぱいいる。その上に結婚して姓が変わって変わっていたりするとお手上げである。もっともそんな友人たちとは本名など分からなくてもあまり問題はないのだけれど。

ど忘れを防ぐための方法などがあちこちで語られているがどれも決定的なものはない(と思う)。それよりも普段から新しいことを覚えようと努力したり考えたりして頭を活性化することの方が気休めになるような気がしている。

昔から「〇〇を食べると頭が良くなる」だの「記憶力が良くなる」などと言われてきたが、それを食べたから頭が良くなったのかどうかという科学的で論理的な検証は行われていない。ただ言えるのは、勉強した人はしなかった人よりテストの点が良かったということだけだ。

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