先日、ボクの母が他界した。85歳だった。1年ほど前に末期癌が見つかったが「最後まで痛くなければそれでいい」という本人の希望もあって特に治療をすることもなく自宅で介護を受けながら過ごしていた。結果的に死の前日まで「特に痛いところはない」と言っていたので本人にとっても悪くない選択だったのではないかと勝手に思っている。
近頃では「普段から自分が死んだ後のことを家族と話し合っておきましょう」というのが流行のようになっているが、我が家では、特に母とボクはボクが小学生の頃から「延命治療はしなくていいからね」とか「お墓も葬式もいらない」などと日常会話の中で普通に話していた。ただ「痛みを我慢するのはいやだ」とは強く言われていた。
そんな時に「お墓はいらないから骨になったら海に撒いて欲しい」とよく話していた。もともと我が家にはお墓などなかったしボクも同じ考えだったので気軽に「あぁいいよ」などと答えていた。
昨年、まだ癌が見つかる前にたまたま実家に寄った際に「骨はどこに撒いて欲しい?相模湾?」と訊いたら「小笠原!」とキッパリと答えた。「小笠原かぁ、行くのが大変だから沖縄で手を打たない?」と言ったのだが最後まで小笠原を譲らなかった。たぶん本人も小笠原など行った事はないと思うのだがどういうわけか小笠原の海がいいと言うのだった。
ご存知の通り小笠原には空港がない。小笠原諸島の父島までは東京の竹芝桟橋から船で24時間かかる。船は1週間に1便だけだ。だから東京に戻って来るのは5日後である。洋上では衛星電話はあるもののインターネットは繋がらない。
向こうに行っても島の中でどれくらい使えるところがあるかわからないので仕事は完全に休むつもりで行くことになる。もっともインターネットも携帯電話もなかった頃にはそれが普通だったのだから短期間だけ昔に戻ると思えばどうということもない。
ハタチ過ぎで実家を出てしまったボクはその後もほとんど実家に行くこともなかったので母との思い出といえばそれまでの20年ほどだ。しかしその間に受けた影響は少なくなかったように思うし、世界中を旅行して好きなことをしていたが何かをお願いされたこともほとんどなかった。
そんな母だったから最後に一つくらいは願いを叶えてあげようと思っている。それを冥土から眺めて満足してくれるのなら最後の親孝行になるのかと思ったりするのだ。
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