ざわわ

日々是好日

2003年、テレビで明石家さんまさん主演の「さとうきび畑の唄」というドラマが放送された。もう17年も前のことだ。タイトルにあるように主題歌は森山良子さんの「さとうきび畑」だった。ボクは当時、森山良子さんのファンではなかったのでこのドラマで初めてこの歌を知った。以来ボクは「ざわわの唄」と呼んでいる。

6/23は沖縄の「慰霊の日」であり戦没者慰霊祭が行われた。沖縄は太平洋戦争の末期の昭和20年(1945年)、日本で唯一凄惨な地上戦が行われた場所である。日本人だけでも民間人を含む20万人とも25万人とも言われる人々が命を落とし、そのうち12万人が沖縄県民だったと言われている。当時の沖縄県の人口は50万人前後だったから県民の5人に一人がなくなっている計算になる。この犠牲者以外にも1000人もの民間人が集団自決するという悲惨な戦いだったという。もちろん米英側も2万人もの軍人が犠牲になった。

ボクは20年ほど前から毎年沖縄を訪れているが、実はさとうきび畑というものをマジマジと見たことがない。那覇空港から那覇の街まではほとんどが住宅地や繁華街だし本島中部の本部半島に向かう国道58号線沿いはほとんどが米軍基地で埋め尽くされている。以前に真栄田岬に行ったときに初めて近くでさとうきび畑を見た。風が吹くと確かにサトウキビが擦れるザワザワという音が聞こえてくる。また南部の糸満市に行くとまだ所々でそんな光景が見られる。

ドラマでは那覇で写真館を営むさんまちゃんの家族が「海の向こうからやってきた戦さ」に巻き込まれていく様子を描いていた。南方戦線に召集されていく長男や少年兵に志願する次男、「ひめゆり学徒隊」などでも知られる看護兵に召集されていく長女、そして地元兵として日本軍に戦闘員として召集される父親。沖縄に上陸したアメリカ軍との戦闘の中でバラバラになっていく家族。

そんな中でさんまちゃんが所属する部隊が山の中を行軍していると偶然怪我をして動けなくなったアメリカ兵を発見する。必死で命乞いをするアメリカ兵を見て上官はさんまちゃんに向かって拳銃を手渡して敵兵を射殺するように命令する。当時の日本軍の話は本や映画でしか知らないが、祖母が話してくれた本土での憲兵の話などを聞いた限りでは本当にあった話なのかもしれない。

さんまちゃんは泣きながら上官に向かって言う。「ボクはこんなことをするために生まれてきたんじゃないんですよぉ〜」

沖縄島南部の糸満市にある「平和の礎」。ここには広大な敷地に沖縄戦での民間人や集団自決による戦没者の名前が刻まれた石碑が建っている。日本人だけでなく日本に連れてこられた朝鮮人やアメリカ兵の名前も刻まれている。近くには「ひめゆり学徒隊」で知られた「ひめゆり平和祈念資料館」があり当時の子供達の名前や顔写真が展示されている。学徒隊は公になっているものだけでも9つはあり、ひめゆり隊だけでも240人のうち半数以上の136名が命を落とした。ドロドロのゲリラ戦の中では一家が全滅してしまった例も多く、いまだに亡くなった学徒の数すらわからないでいる。

その戦争を体験した沖縄の人ももう少なくなった。日本全国でも同じだがあの戦争を語り継ぐ人も少なくなった。しかし毎年沖縄を訪れて明るく美しい沖縄の海の中を潜っている時にも、地上では凄惨な戦いや集団自決が繰り返されていたんだろうなと今は平和そのもの海の中でもいつもそう感じる。それは当時南方戦線だったパラオの海でもそう感じた。ボクらがダイビングで潜る南の海の多くは過去に激しい戦争があったところだ。行ってみなければそこで無念にも命を落とした人たちの魂を感じることはできない。

ドラマの中でさんまちゃんは
「人は笑うと優しくなるんです。幸せになるんですよ。」と言っていた。

戦争は間違いなくすべての人を不幸にする。世界中から戦争がなくなればいいのにと思う。沖縄慰霊の日にボクは沖縄の海を思い出しながらそんなことを思っていた。

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