およげ!たいやきくん

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いつの頃だかもう忘れてしまったが記録によれば昭和51年だったらしい。ボクが小学生か中学生の頃のことである。「ひらけポンキッキ」という民放で放送していた子供向け番組の中でやっていた歌をレコードにして出したらどう言うわけかサラリーマンの間で大ヒットして話題になったことがある。最初は確かB面の曲でA面の曲は「いっぽんでもニンジン」だったような気がするがあまり覚えていない。
歌手の子門真人が歌っていたように思うがこれまたよく覚えていない。歌の内容はお店で売られているたい焼きが、

♪毎日毎日僕らは鉄板のぉ〜上で焼かれてイヤになっちゃうよぉ〜♪

と愚痴をこぼすところから始まっている。そして店のおじさんと喧嘩して広い海に逃げたところまでは良かったが結局最後は人間に釣り上げられて食べられてしまうと言う他愛ない歌だ。そんな歌がなぜサラリーマンの間で話題になったのかといえば、まだ昭和の時代はサラリーマンが企業戦士として毎日24時間こき使われているのに大して給料はもらえず出世もしないという時代背景に、歌に出てくるたい焼きを自分たちの姿に投影したのではないだろうか。

昭和50年といえば高度経済成長にも翳りが見え、働かされるだけ働かされるが給料もさほど上がらないし出世もしないという日本経済が淀み始めた時期である。オイルショックが起き、狂乱物価で物の値段だけが年に20%以上も上がるというインフレが起きた。その後に土地の値段が急騰するバブル期を迎えることになるが日本の経済の歯車がチグハグに動き始めた頃である。

ご存知のようにやがてバブルは崩壊しその後30年以上にも及ぶ低成長時代が続くわけだ。そんな時代に自分たちの姿をたい焼きになぞらえて「大きな海の中を自由に泳ぎまわりたい!」という願望に憧れたとしても不思議ではない。しがないサラリーマンなんか辞めて広い世界に飛び出したくもなるというものである。

しかし最後には自分は所詮たい焼きだったのだということに気づいて、自由になる夢は見てもやっぱり踏ん切りがつかずサラリーマンを辞めるわけにはいかないでいる自分を慰めたのではないだろうか。ブラック企業(そんな言葉はなかったが)に典型的なサラリーマンとして24時間こき使われても結局は文句ひとつ言えずに上司にへこへこと頭を下げている自分の姿に悲哀を感じたのかもしれない。

昭和から平成中期にかけてサラリーマンは社畜と呼ばれていた。会社を辞めるに辞められないサラリーマンも悲しいが、その後に続く小泉内閣による規制緩和で非正規雇用が爆発的に増えた平成後期からはさらに大変な時代になった。サラリーマンの哀愁などと言っていられたのはまだ平和な時代だったわけだ。

人口減少と少子高齢化が加速するこれからの日本に大きな経済成長は期待できない。政府も国民も「成長なき改革」を30年も模索し続けているが抜本的な改革はいまだに見つからない。それでも我々やその子供たちはこれからもこの世界で生きていかなければならないのだ。

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