平成最後の言いたい放題

特に感慨もないが平成最後の日になった。この30年はボクにとってどんな時代だったのか、軽く振り返ってみたりしている。30年前といえばまだ20代の半ばで臨時教員をしたり電線会社でサラリーマンをしていた頃だ。特にやりたかった仕事でもなかったが社会人になったからには少しは稼がなければという感じだった。その後はサービス業に身を転じたり、企業内の企画部門でコンサルタントなどしたこともあった。別に楽しい仕事でもなかったがそれなりにやりがいのある仕事だったように思う。そう考えるとこの30年は、それなりにいろいろな経験を積むこともできたし、有意義な時代を過ごせたと感じている。

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年齢と戦略

源九郎判官義経。一之谷の戦いでの鵯越(ひよどりごえ)、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと連戦連勝で平氏を追い詰めて滅亡に追いやった伝説の武将である。その後、朝廷から勝手に官位を受けたことが原因で源頼朝の怒りを買って追討され、非業の死を遂げたと言われている。中には生き延びて大陸に渡りチンギス・ハーンになったという迷信まで生んだ男。まぁこの話は「イエス・キリストの墓は青森にある」レベルの話だが、牛若丸と弁慶、勧進帳などの物語にもなるくらいに日本人には人気の戦国武将だ。

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男のプライド

他の人には簡単にできることが自分にはどうしてもできないことがある。どうしてできないんだろうと考えるが、いくら考えてもその原因すらつかめないこともある。これが”女の子にモテるかどうか”などということなら、容姿だったり、身長だったり、通っている学校の名前だったり、勤めている会社の名前だったり、給料の額だったりと、割と簡単に思い当たるフシを見つけられる。でも歌が上手かったり、楽器が演奏できたり、似顔絵が上手だったりというような、いわゆる”才能”のようなものだとすぐに諦めてしまいがちだ。

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ブレない心(笑)

毎日コラムを書いていると、過去に書いたことと同じような内容のことを何度も書いてしまうことがある。情けない話だが、以前に自分が何を書いたかを全部覚えているわけではない。テーマが被ってしまうことももちろんだが、同じような内容ならまだしも文章までもがまったく同じだったりすることもある。それに気づいた時は「あぁ失敗!」と思うが、自分の書くことが全くブレていないことが分かって、内心少し嬉しかったりする。いつもウロウロといろいろなことを書き散らしているが、だからといってその考えが必ずしも的を射ていたり正しいわけではないので、少しも進歩していないことに愕然としないわけでもない。まったくもってどこに向かっているのかわからなくなる時もある。まだまだ迷走中なのかもしれない。

自分で決めたルールを守る方法

せっかく決めたのに三日坊主、という経験は多くの人がやったことがあると思う。子供の頃なら「今年の目標は日記をつける事」なんて言いながら、三日とは言わないまでも1週間くらいで挫折してしまったことはないだろうか。夏休みの宿題帳も、それこそ最初の三日くらいで、気が付くと最終日までほとんど進捗していなかったりするのだ。

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新人教育は進んでいますか?

とあるショッピングモールでのこと、クレジットカードの申込みキャンペーンをやっているカウンターがあった。通りがかりに申し込みをしているお客と受付の担当者の会話が耳に入ってきた。お客は「横浜とかの系列のお店でも使えるの?」などと訊いている。それに対して担当者は「私、福岡の人間だからわからないんですよぉ」と答えている。いやいや、自分のところの系列のお店でしょ。地元の人間ではないからわからないというのは言い訳にもならない。このテの会話は新入社員や新人アルバイトなどが多いこの時期にはよく聞かれる。

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壁の向こうにある景色

「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言われていた。でも若い頃には「苦労しないで済むのならしない方がいいに決まってるじゃん」と思っていた。それでも好むと好まざるにかかわらず、それなりにいつも苦労は絶えなかったような気がする。それはとるに足らないほんの小さな苦労のこともあったし、夜も眠れないような大きな苦労の時もあった。

今にしてあらためて考えてみると、あの時にした苦労を、自分だけの力ではないにせよ、何とか乗り越えようとしたことが、いろいろな考えや工夫を導き出すきっかけになったのかもしれない。ノホホンと過ごしてばかりいたらきっと向上心など生まれないし育たなかったのではないかと思う。目の前に立ちはだかる壁を乗り越えなければならない時、「何とかしなきゃ」を苦労して解決することで人は成長するのではないだろうか。

壁がなければ上ることもできないし、壁の向こう側にある景色を初めて見た時の感激もなかったのではないかと思う。だから今になって思うのだ。若い時だけでなく、死ぬまで苦労は買ってでもしろ、と。

いつやるか、今でしょ!

いつかやらなければいけないことは分かっているのに、何となくグダグダと先送りして、いつまで経っても踏ん切りがつかないことがある。いつになったらやるのか?どこかの予備校の先生みたいな人に「今でしょ!」とハッパをかけてもらえばヤル気になるのだろうか。もちろん楽しいことだったらすぐにでも手を付けるのだろうが、そんなにやりたいことでもないと、何かのキッカケがないと始められなかったりする。

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マニュアルは絶対なのです

漱石は小説「草枕」の冒頭にこう書いている。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい

量販チェーン店には大抵は接客のマニュアルがある。飲食チェーンにもマニュアルがある。だからテレビCMで「スマイル0円!」などと言っていても、お店に行って「スマイルください」などと冷やかす客にバイトのお姉さんがアドリブで対応してくれることはない。いや、古い話だ。

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するべき、と言う人

「すべき」という言葉の意味は何なのだろう。それは「しなければならない」ともちょっと違うような気がするし、「やることが当然」という意味も含まれているように思う。辞書を開いてみると「べき」は元々「べし」らしい。そこで「べし」の項目を見てみると、「個々の主観を超えた理のあることを納得して下す判断であることを示す」と載っている。判断なのだ。それも単なる主観ではない、筋の通った納得できる判断であるという。正しいことだから当然するのが良いし、しなければならない。そこには多分に”命令”の意味合いも含まれているような気がする。

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