デジタルネイティブの逆襲

ボクが初めてパソコンと出会ったのは高校生の時、40年ほど前の話です。1980年頃の話ですからまだWindowsもなくMS-DOSというOSで動いていて、真っ黒い画面にキーボードからコマンドを打ち込んで命令を実行させるというコンピュータでした。MS-DOSではBasicというプログラム言語が標準で使えたので高校生のボクたちは簡単なプログラムを作ってはマイコン(当時はまだパソコンと言わずマイコンと呼んでいた)で動かして喜んでいたのです。当時はまだフロッピーディスクやハードディスクも標準では付いていなかった(別売りで数100万円では売っていたようです)ので作ったプログラムやデータはイヤホンジャックからラジカセのテープに録音して保存する、そんな時代でした。 “デジタルネイティブの逆襲” の続きを読む

日本のスポーツ界を10倍楽しむ方法

床屋の椅子に腰掛けていたら背後のテレビがお昼のワイドショーを映している。聞くとはなしに聞いているとワールドカップサッカー日本代表のハリルホジッチ監督が解任されたという話題らしい。自称文化人たちが出てきて今後の問題点やらワールドカップへの不安やらを述べ立てている。何が不安なのかもよくわからないがそこらのオヤジの競馬予想とあまり変わらない。「こんな直前に変えても大丈夫なのか」とか「何があったのか」などという週刊誌でも取り上げられそうな話題だ、と思ったが昼のワイドショーなんて”TV版女性週刊誌”だから至極当然のことだと思い直し、自分でもおかしくて笑ってしまった。
正直なところボクはサッカーのことはよく分からない。ルールはだいたい知っているが高校生の体育の授業以来やったこともない。 “日本のスポーツ界を10倍楽しむ方法” の続きを読む

「なぜそれをやるのか」を伝えること

春に新入社員が入ってくると、取り敢えず身近な業務の手伝いをさせようとして細かい作業指示を出している光景がよく見られる。アレをココに持ってきて数を数えて30個以下だったら倉庫から新しいのを持ってきて補充して…などと手取り足取り教えている先輩社員もいる。新入社員も配属されたもののまずは何をしていいのか全くわからないので、細かな指示を与えてやることを作ってくれる先輩はまずはありがたかったりする。
そして1日が終わり軽い疲れとともに「お先に失礼しまーす」
この一日、新入社員たちは何を得たのだろう。
業務を実地で覚えさせるためには一番手っ取り早い方法だと思われていて「OJT」などと呼んで盛んに行われている。 “「なぜそれをやるのか」を伝えること” の続きを読む

難しいことを避けて通る

ドラえもんのポケットから出てくる秘密兵器や超便利グッズでのび太くんは毎日を生き延びている。のび太が無茶な願いや希望を要求するとドラえもんはブツブツ文句を言いながらもポケットから何かを出してくれる。タケコプターやほんやくコンニャクは便利だ。頭に乗せれば空を飛べるしコンニャクを食べればどんな言葉でもペラペラ話せるようになる。
何でも思ったことがすぐ叶う。のび太は何の努力をすることもない。そんな世界では手段と目的を混同することはない。手段が必要ないからだ。直接、目的だけを手に入れることができる。 “難しいことを避けて通る” の続きを読む

「信用」は回復するものなのか

政治家や官僚があちこちで整合性の取れていない不可解な発言を繰り返している。”ウソをついてもいい場”なら呼んでもいいが、”ウソをついてはいけない場”に呼び出すことはできない、などとウソをつかせることを前提にした発言をしたり、「決済書類にハンコは押したがいつも全部に目を通しているわけではない」などという発言をする国務大臣まで出てきて呆れるばかりである。いや、実際にはそうなンだろうなぁとは思っているが、公の場で言っていいことといけないことがある。大臣になってそんなこともわきまえないのかと思うと、これからの日本はどうなってしまうのだろうと暗澹たる気持ちだ。 “「信用」は回復するものなのか” の続きを読む

混沌から生まれるもの

「出ねぇ~、何も出ねぇ~」
未就学児童が大好きな”ウンコ”の話ではない。アイデアがである。出ないときは何も出ない。考えても出ない。悩んでも出ない。踏ん張っても出ない。頑張っても出ない。何をしても出ない時は出ない。
ところが不意に閃くことがある。寝る前のひとときにポンッと出ることがある。お風呂の中でポンッと出るときもある。湯船に浸かっているときとは限らない。それは決まって何も考えていないときだ。それは気まぐれで突然だ。でも思いついた途端に揮発していく。蒸発して消えた後には何も残っていない。 “混沌から生まれるもの” の続きを読む

否定されたくないニッポン人

人は他人から否定されることを好まない。ダメだと言われたくない。自分のやっていることに反対されたくない。
たぶん誰かに否定されたり反対されることは、自分がその誰かより劣っていると思うからではないだろうか。果たして否定されることは、反対されることは優劣なのだろうか。議論に勝つことが優れていることなのだろうか。議論することは勝ち負けを決めるだけのものなのだろうか? “否定されたくないニッポン人” の続きを読む

エッセイにハマっていた頃

学生の頃はずいぶんとテレビドラマを観ていまいた。中学生の頃にはNHKの「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」「獅子の時代」「岸辺のアルバム」(山田太一)、高校生になる頃には「前略おふくろ様」「北の国から」(倉本聰)、「早春スケッチブック」(山田太一)というようなドラマを観ていました。一方で世間で話題になっていた「おしん」や「渡る世間は…」(橋田壽賀子)などはほとんど見た記憶がありません。もっとも「おしん」などはNHKの朝ドラで、小学生の頃から遠距離通学をしていたボクは7時過ぎには家を出なければならず、学校へ行く時間を考えれば観られるわけがなかったのですが…。
こうしてみると観ていたドラマの作者・脚本家には明らかな偏りがあって、結果的には山田太一さんや倉本聰さんのドラマばかりを観てきたことになります。その後、時代はトレンディードラマ全盛になり、トレンディードラマの薄っぺらなストーリーに興味を惹かれなかったボクは、それ以降のドラマを観ることがなくなってしまいました。ボクのドラマ人生は20才前後のまま止まっているのです。 “エッセイにハマっていた頃” の続きを読む

適材適所

最近、古本を買うことが多い。別に古書などの歴史的な価値の高い逸品ではない普通の古本だ。かつて読んだ本をもう一度読み返したくなっても、狭いアパートの本棚に収まりきれなくなった古本はほとんど処分してしまった。タイトルを頼りにネットで検索してみるとそのほとんどが絶版になっており、いくつかの古本がアマゾンなどのマーケットプレイスに出品されているばかりである。そしてその価格は1円~数十円だ。
ボクは昔から古本を買ったことはあまりない。とにかく欲しい本を探す手間が膨大な上に、必ずしも見つかるものではないからだ。元来、なんとなく本棚を眺めていて欲しい本を探すということがあまりなかった。小説なら作者別に、自然科学や心理学、歴史などの分野の中から面白そうなタイトルを探すことはあっても、古本市のような雑多に並べられた文庫本の山を漁るという趣味はなかった。 “適材適所” の続きを読む

♨を変える必要はあるのか

2020年の東京オリンピックに向けて、いやそれだけのためではないンだろうが、日本ではいろいろな方面で変化が起きている、らしい。先日テレビで話題になっていたのが例の”温泉マーク”だ。古い世代の方々にとっては別の意味もあったようだがボクの世代ではタダの地図記号だ。
この温泉マークが海外からの旅行者にはわかりにくいという。「温かい飲み物に見える」「カフェかと思った」というようなインタビュー映像を流していたが、それってマークのせいなの?
そもそも日本以外ではボクの少ない経験によれば、入浴施設はあまり一般的ではない。公衆浴場も温泉地も見たことはない。インドネシアで湯が湧いている河原で体やダンプカーを洗っている人は見たことがあるが、リゾートの中に温泉プールはあっても温泉マークは書かれていなかった。 “♨を変える必要はあるのか” の続きを読む