土地言葉は子供社会のパスポート

最初に「地元」というものを意識したのは大学で東京に通うようになってからだ。もちろん東京生まれ東京育ちもいたが大阪や京都、福岡、東北などから来た友達も多かった。横須賀育ちの僕は主に東京育ちの友達をからかった。東京人にとって横須賀なんていうのは地の果てのように感じるらしく、僕が高校時代まで毎日使っていた京浜急行は、品川駅から出ているにも関わらず乗ったことがないと言っていた。それはたぶん僕達が池袋から出ている東武東上線のついて感じている以上に疎遠なものだったらしい。
だから「横須賀ってガイジンが多いんだろ?」と訊かれると「歩いてるのはガイジンばかりで日本語はほとんど通じない」とか「京浜急行の最後尾の車両は黒人専用だから気を付けたほうがいい」とかホラを吹きまくっていた。

仕事に就いて群馬に転勤した時は大阪出身のフジタくんという同僚がいた。お互いに単身赴任(結婚もしていなかったが)だったので毎晩のように飲みに行ったりコンビニで惣菜を買ってはどちらかの部屋で家飲みをしたりしていた。関東人は関西人の身近にいると変な関西弁が身についてしまう。そのことは分かっていて十分に注意していたが、近くにいた関東人はすべからく変な関西弁に感染していった。「関西弁は悪性の伝染病みたいなものだ」と言っていたのだが、そんな折にフジタくんが大阪に帰省した。関西人が関東人に感化されることなどないから気にしていなかったが、群馬に帰ってきて開口一番「とりすさーん、ムッチャ参ったでぇ」と話し始めた。
彼の地元の枚方(ひらかた)で幼なじみたちが集まって飲みに行ったらしい。しばらくはお互いの近況などを話したりしていたらしいのだが、その中の友達の一人が「フジタ!何やねん、その『さぁー』は」と言い始めたという。フジタくんが「それでさぁー」と言うのを聞き咎めたらしい。「でさぁー」「あのさぁー」「ところでさぁー」は普通の言葉だ。日常的に使っている。だから関東組には何のことだかわからなかった。それが地元を離れたことのない枚方市民には奇異だったらしい。「フジタぁ、オマエ変やでぇ」「カッコつけとんかぁ」「東京に魂、売ったんかぁ」と散々だったという。大阪では「さぁー」は使わないらしい。ところが関東で関東人の中で暮らすうちにフジタくんにも関東の方言が感染してしまったらしい。

芸人が博多弁といえば「~するばい」、広島弁といえば「~じゃけんのぉ」というのをことさら強調したせいか全国的には語尾に「ばい」を付ければ博多弁になると思われている。地元が横浜だというと(横須賀は全国的にはマイナーなので「どこ出身?」と訊かれれば「横浜」と答えることにしていた)東京人にまで「横浜ってさぁジャンって言うんだよな」と言われていた。だから東京人も横浜を気取る場面では「やろうジャン」「飲むジャン」などと言っていたが、そんな使い方はしない。「違うじゃんよー」とか(「とか」って全国区ですよね?)「旨いじゃん」とは言うが何にでも「じゃん」を付けるわけではない。博多弁でも「ばい」を付ければいいわけではないとタモリさんが言っていた。
横須賀に行くと「じゃん」よりも「べぇ」「だべぇ」が普通だった。子供同士は「そうだろ?」というときに「だべ?」と言うし「やろうぜ」と言うときには「やるべぇよぉ」と言う。「やるべ」は発音によって「(当然)やるだろ」や「さぁやろう」の意味になったりして5つ6つの活用がある。これが完全に身についた時に転校生は地元民としての地位を手に入れるのだ。

当時は高校生くらいまでは地元民のコミュニティの中で暮らしていた。だから小学校、中学校、高校くらいまでは何の違和感を感じることもなかった。ところが進学や就職で生活圏が東京や全国区になった途端に得も言われぬ違和感を感じる。しかしそれは少しの間で、自分たちの地方を持ち寄った新たなコミュニティが築かれるとその違和感はなくなっていく。

そんな時に地元で同窓会が開かれる。地元を離れてしまった人は当然出席率が悪い。参加者の殆どは地元に残った友達だ。すると会話は一気に子供時代に戻る。そう、子供時代の言葉を残しているのは地元に残っている人たちなのだ。一度でも地元を離れてしまった人には子供時代の懐かしい言葉に聞こえて「帰ってきたなぁ」と懐かしくなるが、彼らには懐かしくもなんともない日常なのだ。だからそこに戻りたければ土地言葉を話さなければならない。土地言葉は子供社会のパスポートであるとともに地元社会のパスポートでもあるのだ。