それでもあなたは食べますか?

■今季のシラスウナギは昨年の1%ほどしか獲れていない
ニホンウナギの絶滅が話題になっている。2018年1月までの漁獲量は前年比の1%程度でほとんど獲れていない状況だ。それでも業界はまだ獲り続けようとしている。ウナギの完全養殖が実現していない以上、ウナギ業界は天然のシラスウナギに頼らざるをえない。これは炭鉱で石炭を掘っていたら最後のひとかけらまで掘り尽くしてしまった状況に似ている。鉱物資源は新たに鉱脈を見つけられれば更に産出することも可能だがウナギは絶滅してしまったら二度と元に戻ることはない。中国では若干水揚げがあるらしいがそのほとんどは日本に輸出される。日本人が買うから中国人は獲っているだけだ。中国でも早晩漁獲がなくなることは目に見えているが、中国人はウナギを食べるわけでもないので別のものを日本に輸出するだけだ。困ることはない。ただでさえ日本人の何倍も生活力が旺盛な人たちだ。

■ウナギだけが獲れなくなったのか
それ以外の魚介類についてはあまり意識されていないが、近いうちに多くの魚介類がウナギの二の舞いになることは間違いない。日本沿岸では10年ほど前からアジの漁獲が大幅に減っている。スルメイカ然り、サンマ然り、サケ然りだ。原因は明らかである。獲りすぎだ。もちろん海流の変化の影響も多少はあるがほとんどの原因は獲り過ぎである。サケだってサンマだってアジだってスルメイカだってブリだってベニズワイガニだってタコだってマグロだってカツオだって獲りすぎだ。特にアジやスルメイカは基本的に回遊しない。多少の海水温の違いは毎年あるが、ここ10年ほどは漁獲が激減している。その上テレビなどでちょっと話題になって値段が上がると「これでもか」といわんばかりに乱獲する。消費者も狂ったように群がる。

■獲ったものは食べているのか
毎年、土用のうなぎの日には鰻屋には長い行列ができスーパーにはパックされた蒲焼きが山積みになる。牛丼チェーンもうな丼を出し、ホカ弁にもうな重弁当が並ぶ。それを買う消費者は自分の買った分しか見ないがお店には大量の在庫がある。不思議なことに日本の経営者は”機会損失”を絶対悪と捉えて何が何でも品切れを起こさないように過剰に仕入れる。過剰に仕入れて過剰に加工するから不良在庫が残る。在庫品の価値は商品より安い。原価分しかかからないからだ。だがそれもムダな経費だということに思い至らないのは経営の七不思議である。恐らく買い叩いた仕入原価が猛烈に安いのだろう。だから経営者は不良在庫をムダだとは考えない。必要悪だと考えている。自分たちはそれをネタに儲けているにも関わらずだ。昔から言われているが「商売モンを粗末に扱う店に繁栄はない」のだ。

■自分さえ良ければいいという日本人
先日、ニホンウナギのシラスウナギの危機的漁獲減の話題に対してSNSで「どうせ食べられなくなるんだったら今のうちに美味しい店で食べておきたいんだけど、誰か知ってる?」などという脳天気な発言をしている中年女子がいた。こんな程度の意識ではすべての海産物が絶滅するのは避けられない。僕はこのテの人を「意識低い系」と呼んでいる。
ウナギに限らずアジもブリもサンマもイカもマグロもサケも、当然イクラもウニも数の子もアワビも昆布もワカメも。養殖ならいいのかといえば海は繋がっている。真鯛やヒラメ、アワビやサザエなどは稚魚から幼魚までに育てたものを一旦海に放流してあらためて漁獲するという方法が全国各地で行われている。自然界に大きな変化が起これば海も変わる。そうなれば養殖している鯛もブリもホタテも牡蠣もすべてが打撃を受けて食べられなくなるだろう。もはやニホンウナギだけの問題ではない。現代社会の日本人の意識の構造的な問題なのだ。

■漁師だけが悪いのか
ネットニュースなどでは乱獲してしまう漁師だけに責任を負わせて「漁師がバカみたいに獲るから」という論調があちこちで見られる。確かにバカみたいに乱獲する漁師はいる。しかしそれは売れるから獲るのだ。獲れるだけ取ってしまえば値崩れを起こして儲けは減る。儲けは減るが目の前に獲物がいれば無意識に獲ってしまうのが漁師の習性だ。だがそれを煽って安く買い叩く流通に責任はないのか。漁師を煽って獲れるだけ獲らせて自分たちだけががっぽりと儲けていく大手水産会社や流通に責任はないのだろうか。漁師だけが悪いわけではない。
自然は微妙なバランスの上に成り立っている。人間が食べる分など最初からなかったのだ。オコボレを頂戴するくらいが限界だったのに今は根こそぎ獲ってしまっている。

■なぜ政府は規制しないのか
飲食店の全面禁煙の議論でも同じことだが業界から「規制をすれば売上が減る」「どうしてくれるんだ」と言われれば、その発言にまったく根拠がなくても議員は規制に動かない。次の選挙で業界関係からの票が取れなくなるからだ。議員が規制するなといえば政府も動けない。議員は天下国家のことなど考えていない。次の選挙でどれだけ票が取れるかだけを彼らは考えている。だから大手水産会社が日本沿岸で乱獲を繰り返しても何も言わない。先日与党の大物議員が小笠原の絶滅危惧種について「(空港を作れるんなら)そんなのどうだっていい」と発言していたが、彼らの意識などその程度なのだ。日本の海から、世界の海から海産物がなくなったって「(次の選挙で勝てるなら)そんなのどうだっていい」のだ。

■世界を動かせるのは消費者
バカみたいに欲しがって、それでいて食べずに捨てている日本人がいる限りこの問題は解決しない。買うから獲るのだ。買わなければ獲っても仕方ない。売れないのだから。政府や日銀は景気対策といえば企業の設備投資と念仏を唱えるように繰り返しているが、工業製品も農産物も水産物も、すべてのモノは最後には個人の消費者が買っている。消費者が買わなければモノは絶対に売れない。個人が自動車を買わなければすべての自動車産業は立ち行かなくなる。家電製品を買わなければすべての家電メーカーは立ち行かなくなる。消費者がこの世界の鍵を握っている。なのに一般家庭の実質賃金は減少している。「給料は払わないけどたくさん買ってね」といって消費者は買うだろうか。いや買わない。政府も日銀も企業経営者も肝心なところがまったく分かっていない。自分の会社の従業員は大切なお客様なのだということを忘れている。
逆に消費者が「自分は買わない」という選択をするならばメーカーや流通に裁量権はない。売れないものを作っても儲からないのだから。国民は主権者だと言われているが、産業においては消費者こそが主権者なのだ。

■意識低い系の日本人
かつて日本がオイルショックに見舞われた時、スーパーの店頭からトイレットペーパーや砂糖が姿を消した。日本に石油が入ってこなくなるから石油から作られるモノをたくさん持っていなければダメだという不安真理を政府や企業が煽ったからだ。当時、僕の父は石油化学メーカーに勤めていた。石油が輸入されないのでモノを作る原料がなくなった。会社も作るものがないので休みになった。父は平日の昼間も家にいた。ところが会社の倉庫にはたくさんの在庫があった。出荷を抑えればいくらでも高騰した。その年のボーナスは大幅に増えたと言っていた。ちょっと世間を操作して「モノがなくなる」というウワサを流せばモノを作らなくても大儲けができた。そういう時代があった。

東北の震災があった翌日、物流のトラックが来なくなったためにスーパーの棚からはあっという間にモノがなくなった。ガソリンスタンドには何キロも行列ができた。幸い家には1週間程度の食べ物の備蓄もあったし、最低限のトイレットペーパーもあったし、どこにも出かける予定もないのでガソリンもいらなかった僕は家でテレビを見ていた。電車も動かず仕事にも行けずにヒマを持て余した僕は面白半分に街の見物に出かけた。そんな中でふと立ち寄った近所のスーパーで大根を10本もまとめ買いする老年男性がいた。おでん屋のオヤジか、とも思ったが電気もつかないこんな日にどれだけ客が来るというのか。その男性の風体から恐らくそれはおでん屋でも何でもなく、ただただ不安に煽られてあるだけのものを手に入れておきたいと思った老人の所業だったのだと思う。自分が10本ではなく1本だけ買っていればあとの9本は他の人にまわすことができるのだ。つまらない物欲だがもっと多くの人で分けられたのだ。ところが「(他人なんてどうなっても)自分さえ良ければいい」という悪魔の囁きが老人を愚かな行動に掻き立てたのだ。
かくの如く人間の意識は低い。

■10年後にあなたの仕事は残るのか
AIが騒がれ始めて「あなたの仕事は10年後にはなくなる」などとセンセーショナルな見出しとともに話題になっているが、AIだけが脅威なのだろうか?僕はそうは思わない。ワープロが出来て街からは代書屋が消えた。皆が携帯電話を持つようになって街からは公衆電話が消えた。自動改札になって駅の改札係はいなくなった。自動運転の新交通システムでは運転手も車掌もいない。時代の移り変わりとともに生活も変わっている。今は社会に必要な仕事も来年どうなるかはわからない。AIの台頭だけを恐れていても別の変化で明日には自分の仕事がなくなることはまったく不思議な事ではない。
そんなことで不安になるよりも自分の心を磨いて強くすることに力を注ぎたいと、今そんなことを思っている。