今では「”ら”ぬき言葉」もすっかり市民権を得たようで、逆に「食べられる」ときちんと言える人の方が少ないのではないでしょうか。ただテレビ放送でテロップが入るときには、インタビューされている人が「食べれます」と言っているのにスーパーインポーズで「食べられます」と変換されるのはテレビ局の最後の意地なのでしょうか?

ただ最近はおかしな日本語を使う若者も増えています。先日テレビのニュースを見ていたら品行方正そうで子供の頃にはきっと学級委員か生徒会長でもやっていたようなある20代くらいの若者が「それなら”許せれる”」と言っていたのです。皆さんならお分かりのように普通の日本語なら「許せる」が正しい使い方です。「許せれる」なんて言い方はしません。

日本語の乱れという話題が出ると必ず話題になるのが「”ら”ぬき言葉」でしょう。きっと”ら”ぬき言葉は”丁寧ではなく間違った日本語でみっともない”という意識だけが強かったのでしょう。ですから会話の中になんとか”ら”を入れようとしているうちにどういうわけか普段使っている”れる”を無理矢理使ってしまったのでしょう。

「寝付けない」を「寝付けられない」と言っている40代くらいのいい大人もいます。しかし「丁寧な(昔のような)日本語」を使いたいなら普段からきちんとした日本語で話していなければどうしても付け焼き刃的になってしまい、ちゃんとした言葉などすんなりと出てくるものではありません。

他にも決して間違いではないのでしょうが気になる言葉遣いもいくつかあります。例えば、

「お食べください」→「お召し上がりください」
「お座りください」→「お掛けください」

などがそうです。相手から「お食べください」などと言われると命令されているように感じるのはボクだけかもしれませんが、決して綺麗な日本語ではないように感じます。他にも、

「(私が)ご連絡いたします」

というのも”自分がする行動に”ご”を付けて丁寧ぶった言い回しにしようとすることに違和感も感じます。それなら「連絡差し上げます」の方が自然なような気がしませんか?

ボク個人が普段「”ら”ぬき言葉」を使うことはありませんが世の中の潮流として日本語が変化したというならそれを否定はしません。それに「全然美味しい」や「まったく同感」などと言うのを聞くと、「”まったく”や”全然”の後は否定形で受けるのが常識」などと言っていた頃もありましたが、今では「全然アリでしょ!」などと平気で若ぶったりすることもあります。

ボク自身、自分の話す言葉が正しい日本語だなどという気はさらさらありませんが、それでも尊敬語や謙譲語、丁寧語など正しい日本語をある程度わかった上で新しく変わってきた日本語を話すのと、何も知らずに得意になって変な流行語を使うのでは最初から人を見る目が変わってしまいます。それは一種、精神の浅はかさが見透かされているようで日々自戒してするようにしているのです。