先日テレビを見ていたら「ガクチカ」という言葉が出てきた。何のことかと思ったら学生が就活面接で面接官に訊かれるという「学生時代に力を入れたこと」なのだそうだ。まったくもって省略し過ぎて中高年世代にはまったく意味がわからない。しかしこのテの言葉は、一般語にはならなくてもほんの少数の限られた世代だけに通用すればいい言葉だからそれもアリなんだと思う。

そもそもJK達が(これも最近になって覚えた単語だ)得意になって使っている言葉だって、ほんの限られた数年間に同じ世代を生きた同世代にしか通じない言葉がほとんどだ。彼女達も2〜3年すれば母校を卒業して当時は仲の良かった友達とも別々の人生を歩むことになる。それぞれが進学や就職をすれば新しい出会いがあり新しい人間関係が築かれる。その時には中高生時代に培ったほんの限られた狭い人間関係から飛び出すことになる。そこには小さなコミュニティの中だけで通じる言葉が入り込む余地はなくなる。

それはもう少し範囲を広げればそれぞれの地方に残るお国ことば・方言といったものにも当てはまる。自分が生まれ育った集落の小さなコミュニティの外に飛び出した人間から見ればやがて”方言”は身内や仲間内だけに通じる限定的なことばだということに気づく。他の地域や新しいコミュニティの中では誤解を生み出すことさえあることに気づく。だから彼ら彼女らは”(故郷の)魂を売って”標準語と呼ばれるものを身につけようとする。

しかし地域のコミュニティの外で暮らしたことがない、ある意味「土着の」人たちの間でだけ方言は純粋培養される。だから地方から都会に出て行った人間が久しぶりに故郷に帰った時に土地の方言を耳にすると懐かしく思い、かつては普段遣いしていた方言が口をついて出てくるのだと思う。

でも再び都会や今住んでいる別の地域に戻った時にはそんな言葉は”また”通用しなくなる。普段耳にすることもなくなるからたまに聞いたときには懐かしい気持ちになる。「故郷は遠きにありて思うもの」は帰りたくてもなかなか帰ることのできない「余所者」たちの哀しい挽歌なのかもしれない。